本陣から臨む「一目千本」
秀吉がこの花見で本陣を置いたのが、現在の𠮷水神社である「𠮷水院」です。雨のあいだはここに公家や大名が出仕し、茶会や歌の会が催されました。その際に使用した道具や宝物の一部は寄贈され、𠮷水神社に伝わっています。
𠮷水神社の境内からの眺めは、中千本と上千本の桜を一度に見渡せることから、今日では「一目千本」と称される随一の吉野の桜の特等席です。谷を埋め尽くし、山肌を駆け上がるような桜の奔流 を眺めることができます。
写真:磯崎典央
豊太閤花見塚
秀吉が花見を楽しんだと伝わる伝承地。現在は杉に囲まれ、
桜の景観は限られるものの、吉野山の下千本から上千本までの尾根筋が一望できる眺望スポット。
戦国武将たちの仮装大会?
この花見は、ただ酒を飲むだけの宴会ではありませんでした。参加者の面々に、各々「仮装(コスプレ)」をして花見をするように命じたのです。伊達政宗が晩年に語った言行録『木村宇右衛門覚書』に、そのときの様子が記されています。
秀吉自身は猩々緋の服を着、唐人笠 をかぶり、金鞘張りの刀と大脇を差し、唐団扇 を持つという派手な装いで。公家は薫物売りや懸香売 り、前田利家は巻物売 りでした。伊達政宗は山伏の恰好で現れ、茶店の使用人のふりをする秀吉の芝居につきあい、「今回の花見は装いで見事なのは、わしとそなただけだな。だが、これこそが、茶代の物数寄 (茶の湯の趣向)の天下一と呼ぶべきものだ」と賞賛されたのだとか。
イメージ図
仁王像の記憶と
金峯山寺の再興
吉野山に登ってきた秀吉は、本陣に入る前に、金峯山寺の仁王門を通って、本堂(蔵王堂)を参詣しています。仁王門が建立されたのは南北朝時代、本堂(蔵王堂)が再建されたのは、花見の2年前です。再建の際には、秀吉の弟の秀長が勧進(寄付集めのこと)の許可書を発行し花押をすえています。
蔵王堂は、東大寺大仏殿に次ぐ規模をもつ木造古建築として知られています。仁王門に安置されていた金剛力士立像(重要文化財) は、花見の約250年前、延元3 年(1338)から翌年にかけて南都大仏師の康成によって造られたものです。現在、奈良国立博物館で公開されています。
金峯山寺仁王門の金剛力士立像
奈良国立博物館仏像館で令和8年9月13日(日)まで公開中
