祈りの回廊

祈りの回廊 2023年春夏版

いにしえの甘味
History

撮影協力:奈良市教育委員会(特別史跡・特別名勝 平城京左京三条二坊 宮跡庭園)

食文化の発祥の地である奈良。
文献や出土品に「食」についての情報も多く残っています。
食の歴史の中でも、「甘いもの」には、どんなものがあったのでしょうか?

監修:前川佳代
(奈良女子大学大和・紀伊半島学研究所、古代学・聖地学研究センター協力研究員)

古代において、手に入りやす い甘味は果物でした。枇杷びわやスモモ、梨、桃、柿、なつめ、野葡萄などが食べられていたようです。甘味料には、蜜(蜂蜜)、蔗糖しょとう(砂糖)、糖(飴)、甘葛あまづらせん、甘酒などがありました。

【甘味料】

蜂蜜は奈良時代、聖武天皇に渤海国ぼっかいこく(現在の朝鮮半島北部、ロシアの沿海地方)から献上されています。
砂糖は、奈良時代に唐から来日した鑑真和上の伝記『唐大和上東征伝とうだいわじょうとうせいでん』に舶載された記録があり、これが日本に砂糖が伝わった最初と言われています。しかし奈良時代にはまだ一般に広がっていません。砂糖、蜂蜜とも現代のような嗜好品ではなく、一部の位の高い人物のみが薬として使用していたと考えられています。
飴は、穀物のデンプンを糖化させた水あめのようなもので、市場でも取引されていましたが、米の5~8倍の値段で、かなりの高級品でした。
甘葛煎は、ブドウ科のナツヅタの樹液を採取したものを煮詰めて作られた甘味料で、「甘葛」の文字は長屋王家木簡の削り屑からも見つかっています。奈良時代・平安時代には諸国から税として収められました。平安時代には、削った氷に甘葛煎がかけられていたことが清少納言の『枕草子』にみえ、かき氷のシロップだったようです。甘葛煎は砂糖の普及と共に失われましたが、現在、奈良女子大学で再現の取り組みが行われています。

【加工品】

加工された穀物菓子もありました。米や麦を粉にして練り、油で揚げたり焼いたりと調理したもので、唐から伝来したお菓子です。これらは「唐菓子からくだもの」と呼ばれていました。塩や糖、蜜で味付けしたほか、甘酒を和えたり甘葛を塗ったりして食することもあったようです。
時代が下り、室町時代には皮の中に小豆が入った「まんじゅう」も奈良で誕生しました。身近な和菓子の始まりも奈良にあったのですね。

できるかな!?
How To 甘葛煎あまづらせん

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写真:甘葛煎再現プロジェクト

甘葛煎は、古代日本で使われていた甘味料です。鎌倉時代ごろまで各地で作られていましたが、砂糖が普及するにつれ使われなくなり、江戸時代には、原材料名・製造法ともにわからなくなっていました。近年の研究により、極寒時のナツヅタの樹液が十分な甘さを持つことがわかり、これを煮詰めたものが甘葛煎と考えられました。2011年から製造方法や原材料の研究・再現に奈良女子大学の甘葛煎再現プロジェクトが取り組み、現在は、奈良市内の有志も加わり、「奈良あまづらせん再現プロジェクト」として再現活動しています。

①原料のツタ探し

ナツヅタは葉が特徴的で、秋になると紅葉もします。冬になると落葉してわかりにくいため、春~秋のうちに探します。

②ツタの伐採

冬になると、ツタの樹液の糖度が上がります。冬の寒い日にツタを伐採し、樹液を採取しやすい長さに切りそろえます。

③ツタの樹液採取

切断したツタは、先端にビニール袋をつけて振って、遠心力を使ったり、息を吹き込んだりと様々な方法で樹液を採取します。

④樹液(みせん)を濾過

樹液には、表皮やゴミが混じっているため、濾します。樹液はみせんと呼ばれます。糖度は10度~20度前後です。100mLのシロップを作るのに樹液1Lが必要です。

⑤煮詰めて甘葛煎に

濾過したみせんをおよそ1/10くらいの量まで煮詰めると、とろみのついた状態になります。これが甘葛煎です。

※甘葛煎については「甘葛事始 アマヅラコトハジメ」へ

Interview りん 神社と饅頭まんじゅうの繋がり

梅木春興氏

梅木春興氏

漢國神社・林神社宮司。
1947 年、奈良市生まれ。

室町時代の初めの頃、京都の建仁寺に竜山徳見りゅうざんとっけんという禅僧がいました。この僧は中国に修 行に行った方ですが、現地の若者の林浄因りんじょういんという人物が竜山 徳見を師と仰いで日本についてきました。師匠は京都の建仁寺に帰りましたが、林浄因は奈良の漢國かんごう神社の近くに住んだそう です。

林浄因は、京都の師匠に会いに行くときにお土産を持参します。中国では当時、饅頭(マントウ)という、小麦を練り、発酵させ蒸しあげたものが主食でしたが、中身は肉類が多かったようです。マントウをお寺に持っていくのははばかられたのでしょうか、小豆の餡を詰めて蒸しあげ た、現代の饅頭(まんじゅう)を作りました。まんじゅうは見た目にもふくよかで和やかで、ふんわりとした甘いお菓子です。当時の建仁寺に集まった多くの人々に気に入られ、噂が噂を呼んで広がったということなのでしょうね。

とはいえ当時は上流階級の みが食べられたものです。庶民の間にまんじゅうが広がるのは江戸時代になってからでした。誕生したころのまんじゅうの甘味料は甘葛煎が使われていたと考えられていますが、砂糖の普及と同時にまんじゅうも広がったようです。一番にまんじゅうが広がったのは元禄時代(1680〜1709年)、戦国時代に焼けた東大寺の大仏様が修復され、開眼法要をした時代です。この頃さまざまな地域から多くの参詣者が奈良に集まっ ていました。そこでまんじゅうが知られ、一気に全国に広がっ たと言われています。当時はま んじゅう屋さんも奈良町で25軒ほどあったようです。江戸時代、奈良の土産といえばまんじゅうだったんです。

漢國神社境内の林神社では、毎年4月19日に林浄因命の偉業を讃えて、菓子業界の繁栄を祈願する「饅頭まつり」を行ってます。菓子業界の方を初めとして多くの方が参拝に来られています。ぜひお参りください。

林神社(漢國神社内)

社殿の両脇には、まんじゅうの形の石物が飾られている。
社殿裏には饅頭塚がある。

奈良市漢国町6

0742-22-0612

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