国のしくみが動き出す
役人たちの「都ライフ」
時間の管理始まる
政の場、仕事の場である宮
| 欽明天皇7年(538年) | 仏教公伝:百済の聖明王から欽明天皇に仏像と経典などが献上され、 日本に仏教が正式に伝来した※諸説あり、552年説も |
|---|---|
| 用明天皇2年(587年) | 丁未の乱:仏教受容をめぐり崇仏派の蘇我馬子が排仏派の物部守屋を滅ぼし、 蘇我氏の権力が確立した |
| 崇峻天皇元年(588年) | 飛鳥寺(法興寺)の造営開始 蘇我馬子が発願した日本最初の本格的寺院の建設が始まる |
| 崇峻天皇5年(592年) |
崇峻天皇が蘇我馬子により暗殺される
推古天皇が即位:日本史上初の女性天皇が誕生した |
| 推古天皇元年(593年) | 厩戸皇子(聖徳太子)が摂政となり、推古天皇を補佐して政治を行うこととなった |
| 推古天皇4年(596年) | 飛鳥寺が完成:日本最初の本格的な仏教寺院が完成し、仏教文化の中心地となった |
| 推古天皇11年(603年) | 冠位十二階制定:氏姓に関係なく個人の才能と功績により位階を授ける新しい制度を導入した |
| 推古天皇12年(604年) | 十七条憲法制定:官人の心構えを示した道徳的規範で、仏教・儒教の思想を取り入れた |
| 推古天皇15年(607年) | 小野妹子を遣隋使として派遣:「日出づる処の天子」の国書を持って隋に派遣された |
| 推古天皇30年(622年) | 厩戸皇子(聖徳太子)死去 |
| 推古天皇36年(628年) | 推古天皇崩御 |
| 舒明天皇2年(630年) |
第1回遣唐使派遣:犬上御田鍬らを唐に派遣し、新たに成立した唐との国交を開始した
飛鳥岡本宮へ遷宮(飛鳥宮の開始) |
| 舒明天皇13年(641年) | 舒明天皇崩御 |
| 皇極天皇元年(642年) | 蘇我蝦夷が今来(いまき)に双墓を造営 |
| 大化元年(645年) |
乙巳の変:中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を飛鳥板蓋宮で暗殺し、蘇我本宗家を滅ぼした
皇極天皇が譲位、孝徳天皇即位 大化の改新始まる:公地公民制や班田収授法など中国的な律令制度の導入を開始した 難波宮への遷都 |
| 白雉4年(653年) | 中大兄皇子らが難波宮から飛鳥に戻り、孝徳天皇は難波に残された |
| 白雉5年(654年) | 孝徳天皇崩御 |
| 斉明天皇元年(655年) | 斉明天皇即位:皇極天皇が重祚して再び天皇となった(史上初の重祚) |
| 斉明天皇6年(660年) | 皇太子である中大兄皇子が漏刻を設置する |
| 斉明天皇7年(661年) | 斉明天皇崩御:百済救援のため九州に滞在中、朝倉宮で崩御した |
| 天智天皇2年(663年) | 白村江の戦い |
| 天智天皇6年(667年) | 近江大津宮に遷都:中大兄皇子(天智天皇)が近江に新都を造営し遷都した |
| 天智天皇7年(668年) | 天智天皇即位:中大兄皇子が正式に即位した |
| 天智天皇10年(671年) | 天智天皇崩御 |
| 天武天皇元年(672年) | 壬申の乱:大海人皇子(天武天皇)が大友皇子(弘文天皇)を破り、古代最大の内乱に勝利した |
| 天武天皇2年(673年) | 大海人皇子が壬申の乱で勝利し、天皇に即位 |
| 天武天皇9年(680年) | 薬師寺造営開始:天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して飛鳥に建立を開始した |
| 朱鳥元年(686年) | 天武天皇崩御 |
| 持統天皇4年(690年) | 持統天皇即位:天武天皇の皇后が正式に即位し、天武天皇の政策を継承した |
| 持統天皇8年(694年) | 藤原京に遷都:日本最初の本格的な都城制の都が完成し遷都した |
| 持統天皇11年(697年) | 持統天皇が譲位、文武天皇即位 |
| 大宝元年(701年) | 大宝律令制定:刑部親王と藤原不比等らが編纂した日本最初の本格的な律令が完成した |
| 慶雲4年(707年) |
文武天皇崩御
元明天皇即位:文武天皇の母が即位し、平城京遷都の準備を進めた |
| 和銅3年(710年) | 平城京遷都:元明天皇が奈良の平城京に遷都 |
仏教と僧侶−国家を護る「祈り」
仏教黎明期 飛鳥時代の僧侶
(※1)華厳宗元興寺(塔跡)の開門は、令和8年3月末まで不定期開扉、同年4月より週末土日拝観開始となります。
渡来技術者が支えた都づくり
渡来人は、飛鳥に先進的な生産・建設技術をもたらしました。仏像や仏具の鋳造に関わる金属加工、瓦葺き建築や基壇造成に用いられた土木技術、さらに天理砂岩や、二上山凝灰岩、花崗岩などを切り出し、加工し、運搬する石工技術が伝えられています。これらの技術は、宮や寺院、古墳、石造遺構の成立を支えました。こうした渡来系技術者の一人に、飛鳥寺の釈迦如来像制作に関わった仏師・鞍作止利 がいます。飛鳥の文化は、こうした高度な技術によって形づくられていきました。
元興寺文化財研究所所長
田邉 征夫 氏
1944 年三重県生まれ。奈良文化財研究所所長等を歴任し、考古学研究と文化財保存に長年携わる。
大官大寺の発掘では、焼失倒壊した金堂の軒垂木の突き刺さった痕跡を発見するなどし、最終的には基壇幅54メートルに及ぶ巨大な建物であったことがわかりました。また、回廊などの足場穴がともに焼けていることなどから、中門・回廊・塔が未完成で、建設途中に焼失したこともわかりました。
天皇の代替わりごとに宮が移動していた時代から、七世紀になると飛鳥周辺に宮殿が集中し、政治の拠点が定まり始めます。その変化の過程が、遺構の重なりとして地下に残っている。こうした場所は、世界的に見ても非常に珍しいのです。
飛鳥では完成した姿を示すというよりも、「こういう可能性が考えられる」という幅を示すことが大事だと思います。模型でも、ひとつの案に決めるのではなく、違う専門家が描いた案を並べて比べたり、考え続けていく姿勢そのものを見せる。そうしたプロセスを共有することで、遺跡を「考える対象」として受け止めてもらえるのではないでしょうか。
