祈りの回廊

Welcome to NARA

祈りの回廊 2025年春夏版

あらためまして、奈良へようこそ!

奈良は、日本の歴史と文化が脈々と受け継がれてきた場所です。奈良公園での鹿との出会い、3つの世界文化遺産、そして豊かな自然が広がる南部や東部。かつて仏教が伝来し、芸術、伝統文化がここから生まれ、日本各地に広がっていきました。奈良を訪れ、さまざまな体験を通じて、過去から現在へのつながりを感じてください。

あらためまして 奈良へようこそ!

どうして?奈良公園に鹿がいる?

奈良時代春日大社の御祭神の武甕槌たけみかづち命が白い鹿に乗って御蓋山みかさやまに降臨した社伝に由来します。以来、春日大社の周辺地域では鹿が「神様の使い」と神聖視され、人間と共生してきました。
現在は奈良公園を中心に約1,300頭の鹿が生息しており、1957年には天然記念物に指定されました。鹿苑ろくえんで6月に子鹿公開、10月に鹿の角きりが行われます。角きりは江戸時代の1672年から鹿の角による事故を防ぐために行われている伝統行事です。

鹿との共生・鹿マナーを大切に

鹿せんべい

奈良公園の鹿には鹿せんべいを与え、他の食べ物を与えないでください。鹿せんべい以外のものを食べると健康を害する恐れがあり、特にビニール袋や紙の誤飲は危険です。鹿せんべいを与えるときは、じらしたりせず、鹿せんべいがなくなったら両手を広げて「もうないよ」と鹿に教えてあげましょう。

鹿との接し方

鹿は野生動物です。無理に触ったり追いかけたりすると、鹿にストレスを与えるため、自然な距離感を保つことが大切です。特に求愛期(秋)や出産期(春~初夏)の鹿は気が立ちやすく、近づきすぎると攻撃的になることがあります。鹿を尊重しながら、安心・安全に魅力を感じてください。

公園内でのルール

奈良公園内では、鹿が誤って飲み込まないようにゴミは必ず持ち帰り、周囲の環境を守ることを心がけてください。また、興奮した鹿が急に動いたり攻撃的な行動をする場合があるため、小さな子どもが鹿に近づきすぎないよう保護者がしっかり見守ることが重要です。鹿と共存を楽しむためには、ルールとマナーを守ることが大切です。

国内最多世界文化遺産が3つ!!!

1993年 法隆寺地域の仏教建造物

斑鳩町にある法隆寺と法起寺は、現存する世界最古の木造建造物として、日本で初めて登録された世界遺産です。6世紀中頃、日本に仏教が伝来した直後に創建された仏教建造物であり、その後の寺院建築に多大なる影響を与えました。

1998年 古都奈良の文化財

奈良市にある東大寺、興福寺、春日大社、春日山原始林、元興寺、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡の8カ所で構成されています。奈良時代の建造物や遺跡が残り、8世紀の日本の都における宗教や生活の在り方を今に伝えています。

2004年 紀伊山地の霊場と参詣道

奈良と三重、和歌山の三県にまたがる三つの霊場(社寺)とそれらを結ぶ道(参詣、修行の道)が資産です。個々のスポットの価値だけでなく、風土・生活・信仰が一体となった文化的景観であることが日本で初めて適用された事例です。

4つめの世界遺産登録に向けて

飛鳥・藤原の宮都

東アジア諸国の中で、中央集権的な古代国家の宮都が誕生、成立した過程を、2つの連続する時代の遺跡群の変還から示すことができる唯一の文化遺産です。橿原市、桜井市、明日香村の19の資産で構成されています。

奈良の南部もおもしろい

奈良県南部は、自然豊かな森林地帯です。登山(大台ヶ原山、釈迦ヶ岳など)やトレッキング(葛城山、金剛山など)、川遊び(みたらい渓谷など)、キャンプ(下北山村、吉野川)、星空観察(五條市大塔)、温泉(十津川・天川)など、心と体を癒す体験が満載です。歴史的な史跡も数多く残ります。

NARA is the beginning

奈良は「はじまり」

奈良は「日本のはじまりの地」と言われています。一つは、正史『日本書紀』において、初代天皇である神武天皇が橿原宮(橿原市)で即位したことにより、日本の建国の始まりとされていることがあります。もう一つには、奈良で国家の基盤として必要な、法令や行政機関づくりが始まり、完成したことが大きいと考えられます。4世紀から7世紀にかけてのヤマト王権の時代から、8世紀末に都が平安京に遷るまでのあいだに、奈良には朝鮮半島や中国大陸から様々な文化がもたらされました。仏教、食文化、建築技術、様々な物品の生産技術が集まる場所だったのです。

飛鳥時代から奈良時代にかけて、天皇を中心にした中央集権国家が成立しました。大宝元年(701)には、現在の刑法にあたる「律」と、行政法・民法にあたる「令」が整備されました。新しい技術を用いた品々が法制度と役所によって生産管理され、税として求められるようになったことが、日本各地に技術を伝えるきっかけになったとも考えられます。

平安時代になると、日本の文化は日本独自の「国風文化」へと変化していきます。しかし、最初に根付き、国内全域へと広まっていく「はじまりの地」になった場所、それが奈良であると言えます。

仏教から生まれたもの

6世紀の中頃に奈良に伝来した仏教は、その後の国の宗教史・美術史・文化史などに大きな影響を与えました。墨や紙、瓦などは、仏教とともに伝来したと考えられます。都が平安京に遷ったのちも、寺院は奈良に残り強大な勢力を築きました。それらの寺院は薬や酒や茶の生産指示を行う拠点でもありました。

薬の文化は5世紀ごろに朝鮮半島から伝来したと考えられます。推古天皇19年(611)には、宮廷行事として菟田野うたの(現在の宇陀市)で薬猟が行われています。また、大宝元年(701)になると、 医疾令いしつりょうという法律が定められており、医療と薬が治療に使われるようになったことがわかります。

食文化

味噌や醤油は奈良時代に朝鮮半島経由で伝わったものが発展したと考えられます。餡がはいった饅頭は、室町時代に漢國かんごう神社(奈良市)内の林神社に祀られている林浄因りんじょういんが考案したもの。ほかに豆腐、そうめん、甘柿、茶粥、竜田揚げなども奈良から広がったという説があります。

お酒は古くからあり、『古事記』などの神話にも記されています。飛鳥時代にはすでに朝廷内にも「造酒司」という酒造りに関する役所が置かれるほどでした。室町時代に正暦寺しょうりゃくじ(奈良市)で開発された「諸白もろはくづくり」という製法が、現在の日本酒で使われている清酒製法の原型と考えられており、奈良は清酒発祥の地といわれています。

写真提供:薪御能保存会

奈良は日本の芸能文化と深い関わりを持つ地です。

『日本書紀』には、推古天皇の時代に大陸から伎楽ぎがくが伝わったことが記されています。伎楽は仮面を用いた舞踊劇で、儀式や宗教行事とも深く関わっていました。

奈良時代には、大陸から散楽さんがくが伝わりました。この散楽は軽業・曲芸・奇術などで構成される滑稽な演技を中心とするもので、奈良の地で発展しました。平安時代になると、散楽は猿楽さるがくと呼ばれるようになります。その後、猿楽は引き続き奈良を中心に発展を続け猿楽能や能と呼ばれるようになり、さらに現在の能楽へと繋がっていきます。

南北朝時代から室町時代にかけて、猿楽はより高度な芸術へと昇華しました。興福寺・春日大社・多武峰とうのみね寺・法隆寺などの奈良の寺社は、円満井座えんまんいざ坂戸座さかとざ外山座とびざ結崎座ゆうざきざなどの猿楽の「座」を保護し、その発展に大きな役割を果たしました。円満井座、坂戸座、外山座、結崎座は、それぞれ金春座こんぱるざ金剛座こんごうざ宝生座ほうしょうざ観世座かんぜざという現在に続く座に発展していきます。この四つの座はのちに大和四座と呼ばれました。

奈良の寺社が猿楽を保護したのは、猿楽が『翁(翁舞)おきなおきなまい』という演目を演じたからです。

『翁』は、「能にして能にあらず」と言われ、法会や神事になくてはならない神事性の高い芸能でした。奈良豆比古神社ならづひこじんじゃに伝わる翁舞は能の原型といわれ、現在でも毎年10月8日に行われています。また、興福寺は能との関わりが深く、現在でも年に2回、5月に「薪御能たきぎおのう」、10月に「塔影能とうえいのう」が行われています。中でも「薪御能」は貞観11年(869)に行われた薪猿楽がその起源とされ、以降、数多くの変遷を経て今日に受け継がれています。この野外能は、大和四座の能役者たちが一堂に会し、技を披露する場としても知られていました。神聖な儀式であると同時に、現代でも能の魅力を伝える重要な行事です。夕刻から夜にかけて境内で焚かれるかがり火を背景に演じられ、幻想的な雰囲気の中で能を楽しむことができます。

現在の川西町にあった結崎座に所属していた観阿弥かんあみは、猿楽の技芸を磨きつつ、田楽や曲舞くせまいなどの要素を取り入れた革新的な演出を行いました。彼は京都に進出し、将軍足利義満から高く評価され、義満の庇護を受けて全国的な名声を得ます。観阿弥の息子である世阿弥ぜあみが著した『風姿花伝ふうしかでん』『至花道しかどう』は、能の理論と実践の基礎を築いた書物であり、現在でも能の伝書でんしょとして知られています。

奈良は能が生まれた地であるだけでなく、その作品の題材となる場所も多く存在します。能の精神と芸術性が時代を超えて受け継がれてきたその歴史を、ぜひ奈良で感じてください。

奈良公園にある奈良春日野国際フォーラム 甍~ I・RA・KA ~には奈良県が能発祥の地であることを記念して、能楽ホールが設置されました。舞台の目付柱を取り外しできるようになっているホールは全国でも珍しい形です。

本説を訪ね、能を楽しむ

世阿弥は、『風姿花伝』で「よき能」は「本説ほんぜつ正しい」と述べています。「本説正しい」とは、古典や有名な説話などに基づいていることです。

大神神社おおみわじんじゃを舞台とした『三輪みわ』という能があります。物語は、玄賓僧都げんぴんそうずが女性に与えた衣が神社の神木に掛かっていたことから始まります。この神木は、大神神社の境内に根株だけですが衣掛杉ころもがけのすぎとして今も大切に守り伝えられています。この能の本説は、三輪の大物主大神おおものぬしのおおかみの衣に赤い糸を縫い付けたという神婚しんこん伝説と衣掛杉です。

壬申の乱を題材とした『国栖くず』という能があります。主人公の大海人皇子は、皇位を争う大友皇子に追われ吉野に逃れますが、遂に勝利し天武天皇として即位します。最後に天皇の御代みよを寿ぎ蔵王権現が来臨します。この能の本説は壬申の乱であり、蔵王信仰です。蔵王権現は、今も吉野山の金峯山寺の本尊として崇敬を集めています。

二曲はともに本説正しい「よき能」です。「本説」を訪ねると、能をもっと楽しめます。

池田 淳

総本山金峯山寺寺史研究室長兼文化財主任。大阪芸術大学・龍谷大学非常勤講師。専門は日本芸能史。論文には、「年預の翁詞章の伝来」(『奈良県立橿原考古学研究所論集』16)など。

Experience in NARA

奈良での体験

奈良県オープンファクトリーマップ

奈良県では、大阪・関西万博を契機として、工場見学や体験、工芸のワークショップなどのオープンファクトリーの取組を推進しており、この度オープンファクトリーを実施している県内事業者を紹介する Web マップを作成しました。現在の掲載数は 41 件。今回はその中から3事業者を紹介します。マップを参考に奈良の旅をより充実させてください。

URL:https://www.pref.nara.jp/67836.htm
問い合わせ:奈良県産業創造課 TEL 0742-27-8814

奈良は、長い歴史と文化があり、そこから多彩な産業が育まれてきました。紙や墨、筆などの伝統工芸のほか、皮加工、木工加工、履物製造や服飾品製造など、さまざまな産品が誕生しています。製造の現場を知ってもらいたい、身近に感じてほしいなどの思いがある事業者は、工場で製造を見学や自ら作る体験ができるようにしています。素材や技術の高さを知ればより商品への愛着が湧き、新たな奈良の魅力を再発見するきっかけにもなります。

掲載事業者例

下記、施設・店舗の体験はすべて予約制です。事前にホームページをご確認の上お申し込みください。

上田酒造

清酒発祥の地と言われる奈良県で、酒作りが活発に行われ始めたのは室町時代頃。約400年の歴史を持つ酒蔵を営む「上田酒造(生駒市)」では、酒蔵見学と試飲の体験ができるほか、素材の持つ甘味を引き出し、旨味をアップしてくれる調味料「塩麹」づくりの体験ができる。

生駒市壱分町 866-1

0743-77-8122

ニット・ウィン

奈良県は靴下の生産量が全国の60%で日本一。葛城市の靴下会社「ニット・ウィン」では、2024年11月にファクトリーストアがオープン。職人の説明を聞きながら、同社のブランドの1つ「ニシグチクツシタ」で糸から靴下へと編みあがり、梱包されるまですべてを見学できる。

葛城市木戸 210-8

0745-43-5090

各回定員4名

米田神具店

奈良県の伝統的工芸品「神酒口みきのくち」を作る体験ができる。神酒口は、神棚に供える徳利の口に挿す、炎と水を象った形の神具で、薄く削った木の板の溝を組み合わせて作る。ほかに工場見学、かんな削り体験も可。(団体の場合は要事前問い合わせ)。

吉野郡下市町下市 20-1

0747-52-2738