祈りの回廊

祈りの回廊 2024年秋冬版

清少納言、『枕草子』で奈良を語る 清少納言、『枕草子』で奈良を語る

(監修:奈良女子大学/大和・紀伊半島学研究所/古代学・聖地学研究センター 協力研究員 宍戸 香美)

平安時代の作家・清少納言が書いた『枕草子』。都は京都に遷った後ですが、奈良の風景や地名も綴られています。原文と現代語訳で平安時代から存在する奈良の名所を紹介します。

※章段番号は『新編日本古典文学全集18枕草子』(小学館、1997年)によります。 原文の引用もおおむね同書によりました。


いちは たつの市。さとの市。つば市、やまとにあまたあるなかに、 長谷はせまうづる人の、 かならずそこに泊るは、観音の縁のあるにやと、心ことなり。
をふさの市。しかまの市。 飛鳥あすかの市。

現代語訳

市は、辰の市。里の市。椿つば市は、大和にたくさんの市がある中で、 長谷寺に詣でる人が必ずそこに泊まるのは、観音さまのご縁があるのかと思うと、格別な感じがする。
おふさの市。飾磨の市。飛鳥の市。


・つば市(椿市、海石榴市)
三輪と長谷の中間にあり、交通の要衝で市や歌垣の場となった。

・たつの市
現在の奈良市で辰の日に立った市。

・飛鳥の市
現在の高市郡明日香村か。


海柘榴市跡

海柘榴市つばいち
交通の要衝にあり、古代は交易地として、平安時代以降は宿場として栄えた。

  • 桜井市金屋


みささぎは うぐひすのみささぎ。かしはぎのみささぎ。あめのみささぎ。

現代語訳

みささぎは、うぐいすの陵。柏木の陵。あめの陵。


・うぐひすの陵
諸説あるなかで、若草山の鶯塚古墳をあてる説がある。


鶯塚古墳
鶯塚うぐいすづか古墳


山焼きで有名な若草山の頂上にある前方後円墳。国の史跡に指定されている。

  • 奈良市雑司町


池は ……猿沢さるさはの池は、采女うねめの身投げたるを聞しめして、 行幸ぎゃうがうなどありけむこそ、いみじうめでたけれ。 「寝くたれ髪を」と人麻呂がよみけむほどなど思ふに、言ふもおろかなり。

現代語訳

池は、……猿沢の池は、(むかしの物語で) 采女が身を投げたのを帝がお聞きになり行幸などがあったということに、ひどく感じ入ってしまう。 「寝くたれ髪を」と柿本人麻呂が(亡き采女を悼んで)歌を詠んださまを想うと、その素晴らしさはとても言い尽くせない。


・猿沢池に身投げした采女
平安時代中期の歌物語『大和物語』に、 帝の寵愛が薄れたのを悲嘆した采女が猿沢池へ身投げし、それを哀れんだ帝が池に行幸して人々に歌を詠ませた、との説話がみえる。


猿沢池

猿沢池
かつては興福寺の一部だった池。 室町時代以降、南都八景の一つとしても知られる。

  • 奈良市登大路町
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滝は 音無おとなしの滝。布留ふるの滝は、法皇の御覧じにおはしましけむこそめでたけれ。
那智なちの滝は、熊野にありと聞くがあはれなるなり。
とどろきの滝は、いかにかしがましくおそろしからむ。

現代語訳

滝は、音無の滝。布留の滝は、法皇がご覧になろうとおでましになったといい、感慨をおぼえる。
那智の滝は、熊野にあると聞くことが貴いのだ。
轟の滝は、どんなにかうるさく恐ろしい音をたてているだろう。


・布留の滝
天理市の布留川の上流にある桃尾の滝を指すとされる。平安時代前期の歌集『古今和歌集』には仁和の帝(光孝天皇)が即位前に布留の滝へお越しの道中で僧正遍照が詠んだ歌がある。


桃尾の滝

桃尾の滝
落差約23mの直瀑。鎌倉時代の磨崖仏があり、松尾芭蕉も訪れたという。

  • 天理市滝本町
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野は 嵯峨野さがのさらなり。印南野いなみの交野かたの 駒野こまの飛火野とぶひの。しめし野。春日野かすがの
そうけ野こそ、すずろにをかしけれ。などてさつけけむ。
宮城野みやぎの粟津野あはづの小野をの紫野 むらさきの

現代語訳

野は、嵯峨野は言うまでもなく。印南野。交野。こま野。飛火野。しめし野。春日野。
そうけ野はなんとなくおもしろい。どうしてそんな名をつけたのだろう。
宮城野。粟津野。小野。紫野


飛火野とびひの、春日野
春日野は春日山麓一帯の野を指し、飛火野はその一部。

・そうけ野
五條市の吉野川沿いにあった宇智(内)の大野とする説がある。


飛火野

飛火野
春日大社表参道から南に広がる芝生地。豊かな自然の中、鹿が群れる。

  • 奈良市春日野町


……あかつきには、 とくおりなむといそがるる。「葛城かづらきの神もしばし」 など仰せらるるを、「いかでかは筋かひ御覧ぜられむ」とて、なほ臥したれば、御格子みかうしもまゐらず。

現代語訳

……暁には、(暗いうちに)早く自室に下がろうと気が急ぐ。中宮様(定子)が「(明るさを恥じる)葛城の神であっても、 もうしばらくいなさい」などと仰せだが、「どうして斜めから(私の姿を)ご覧にいれることができようか(恥ずかしくてできない)」と思って、 そのまま縮こまっているので、お部屋の格子もお上げしない。


・葛城の神
葛城山の一言主神ひとことぬしのかみ。 石橋を渡すよう命じられたが、顔が醜いことを恥じて夜だけ仕事をした、という伝説が当時よく知られていた。


葛城一言主神社

葛城一言主神社
『古事記』にも登場する、一言の願いであれば何ごとでもお聴きくださる神を祀る。

  • 御所市大字森脇 432
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寺は 壺坂つぼさか笠置かさぎ法輪ほふりん霊山りゃうぜんは、釈迦仏の御すみかなるがあはれなるなり。
石山。粉河こかは。志賀。

現代語訳

寺は、壺坂寺。笠置寺。法輪寺。霊山寺の霊山という名はお釈迦さまのお住いだということが貴いのだ。
石山寺。粉河寺。志賀寺。


・壷阪寺
平安時代に桓武天皇、一条天皇の眼病平癒祈願が行われ、藤原道長らも参詣した記録が残る。


壷阪寺(南法華寺)

壷阪寺(南法華寺)
文武天皇大宝3年(703)創建。長谷寺とともに観音霊場として栄えた。

  • 高市郡高取町壷阪3
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初瀬に詣でて、 ……いみじき心おこしてまゐりしに、川の音などのおそろしう、
くれはしをのぼるほどなど、おぼろけならずこうじて、 いつしか仏の御前を
とく見たてまつらむと思ふに、……

現代語訳

長谷川寺に参詣して、……ものすごい決心をして参詣したが、初瀬川の水音などが恐ろしく、呉階くれはしをのぼる時などは ほんとうに疲れはてて、早く仏さまのお顔を
拝み申し上げたいと思っていると、……


・初瀬詣で
平安時代に、長谷寺(奈良)などの観音霊場への参詣が流行した。

くれ
屋根や欄干のついた階段。現在、長谷寺で登廊と呼ばれる階段は、平安時代に中臣信清が建設したという伝承がある。


長谷寺

長谷寺
朱烏元年(686)創建の、古くから崇敬を集める観音霊場。真言宗豊山派の総本山。

  • 桜井市初瀬731-1
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こんな場所にも登場!

枕草子には上で紹介した場所の他に、奈良の色々な場所が登場します。
・いな淵(稲渕・明日香村)
・三室の山(三室山・斑鳩町)
・御獄(金峰山・天川村)
・吉野川(吉野町他)
・飛鳥川(明日香村他)
・妹背山(吉野町)


高貴なグルメ「あてなるもの」

高貴なグルメ「あてなるもの」

最古のかき氷は枕草子に

40段「あてなるもの」には「削り氷にあまづら入れて、新しきかなまりに 入れたる」というくだりがあります“削り氷”は文献史上最古のかき氷の記述と考えられています。平安時代は氷室から氷を取り出し、削って甘葛煎あまづらせん (※)を かけて高貴な方が食べていたようです。平安時代以前にも氷室があり、氷を作っていました。
※甘葛煎については祈りの回廊2023年春夏号に掲載してます。

都祁の氷室

都祁つげ氷室ひむろ
天理市福住で氷室跡が見つかっている。 ※写真は復元

  • 天理市福住町