古代、疫病流行の時代を経て、約40年の年月、大和から伊勢まで太陽神と共に旅をした皇女・倭姫命。伊勢の地で祈る皇女、斎宮※の伝説上の起源とも言われています。
※斎宮(斎王)とは:天皇に代わり、伊勢神宮の天照大神に仕えた未婚の皇族の女性。飛鳥時代から南北朝時代まで約660 年続いた。
斎宮が制度化されたのは飛鳥時代の天武天皇の娘・大来皇女からで、南北朝時代まで続きました。今年は斎宮制度化1350年の年にあたります。
『日本書紀』の崇神天皇の御代、疫病が大流行します。天皇は日夜、疫病平癒を願い神に祈り続けました。これより先に宮中では倭大国魂神と天照大神を共に祀っていました。しかし二神の強大な神の力を恐れた崇神天皇は、宮の外で二神を別々に祀ることにしました。皇女・淳名城入姫命に倭大国魂神を祀らせようとしますが、渟名城入姫命の髪は抜け落ちて体も痩せてしまったため、倭大国魂神を祀ることが出来ませんでした。
天照大神は崇神天皇の皇女である豊鍬入姫命に託され、大和の倭笠縫邑に祀られました。
それから年月が経ち、疫病も平癒した垂仁天皇の御代に、天照大神は豊鍬入姫命から離されて、今度は垂仁天皇の皇女・倭姫命に託されます。倭姫命は、倭笠縫邑を出発し、天照大神が鎮座する場所を求めて、まずは菟田の筱幡へ。そこから近江(滋賀県)、美濃(岐阜県)を巡って、伊勢国に至り、現在の三重県の伊勢神宮の地に奉斎されることになります。
倭姫命はその間およそ40年ほどの歳月をかけ、天照大神が鎮座する場所を探して旅をしました。『日本書紀』に登場する倭姫命の足跡は、倭笠縫邑と菟田の筱幡のみです。一方、平安時代成立の『皇太神宮儀式帳』や、鎌倉時代成立の『倭姫命世紀』には天照大神を祀った多くの場所が記載されています。この倭笠縫邑から伊勢神宮に至るまで、一時的に天照大神を祀った神社や場所は「元伊勢」と呼ばれています。
「菟田の筱幡」にあったと考えられる元伊勢「佐々波多宮」(倭姫命世紀)の場所は篠畑神社、葛神社、御杖神社と推定されています。篠畑神社は、佐々波多宮へ天照大神を祀ったことが創始の由来となっています。葛神社は、豊鍬入姫命と倭姫命の二柱を篠畑神社の摂社として祀ったのが始まりとされています。
推定地のひとつ、御杖神社は奈良県最東部の御杖村にあります。御杖村には、倭姫が通ったという伊勢本街道があり、村名の由来も、倭姫命が当地を訪れた印として自らの杖を残したという伝説に由来しています。御杖村には他にも、四社神社の手洗い井戸や姫石明神など、倭姫命にまつわる複数のゆかり地が存在し、倭姫命の足跡を色濃く感じることができます。
倭姫命ゆかりの地を巡る
4.
筱幡に遷座した際、豊鍬入姫命と倭姫命を祀ったのが最初と伝わる
- 宇陀市榛原山辺三1145-1
5.
菟田の筱幡へ天照大神を祀ったことが創始と伝わる
- 宇陀市榛原山辺三2235