弘法大師・空海は、密教の正統な後継者として、日本に密教を伝えて新たに真言宗を開宗した人物です。さらに、漢詩や書の達人であり、梵字にも精通し、多くの著書を残した思想家です。また治水土木の知識などにも造詣が深く、多様な才能を備えて活躍し、後世に「お大師さん」として人々から敬愛され親しまれた日本を代表する多才な文化人でありました。
奈良時代末期から平安時代初期を生きた空海は、「平城京」が置かれた奈良の地との縁も深かったようです。公式の記録には残っていませんが、様々な伝承から、生まれ故郷の讃岐(現在の香川県)より15歳の頃に大和に来て、この地で若き日々を過ごしたと考えられています。
当時、勤操など空海が師事した高僧が籍を置いた大安寺などで仏教教学を学び、吉野大峰山などの大自然の中で山林修行にも打ち込みました。31歳で東大寺で正式に得度し、延暦の遣唐使(延暦23(804) 年出立)にともなって留学僧として中国にわたり、唐の都・長安で密教を学んで日本に請来(※1)しました。帰国後は、京都や高野山が活動の主な舞台となりますが、東大寺に灌頂院を設置するなど、奈良の地との縁もひき続き保ち続けました。
また、超人的な能力を発揮したと信仰される弘法大師には、様々な伝説が生まれています。杖をついた場所から泉が湧く「弘法水」は奈良以外でも日本全国に見られています。また、うるさい蛙を叱ったらそれ以降は鳴かなくなった(秦楽寺)、水の珠を持ちだして弁財天に追いかけられた(野川 弁財天)など、独特な逸話も残っています。
今回紹介した場所は、奈良県内の空海伝承が残る場所のごく一部ですが、寺院に限らず、奈良県内には空海に関連するスポットが数多く伝わっています。生誕1250年の今年、人々から変わらず慕われてきた理由を体感してみませんか。
(※1):外国から仏教や経典などを請い受けて持ち帰ること