仏教とは、紀元前五世紀ごろ(諸説あり)にゴータマ・シッダールタによって開かれた宗教です。シッダールタは現在のインドとネパールの国境付近、シャーキャ族(釈迦族/釈迦国)の王子で、シュッドーダナ(浄飯王)とマーヤー(摩耶)夫人の間に生まれ、青年の時に出家して沙門(僧侶のこと)となり、その後菩提樹のもとで悟りを得て、ブッダ(目覚めた人)となります。仏(佛)とは、ブッダに漢 字をあてた「仏陀」を略したものです。
仏陀となったシッダールタは、釈迦族の聖者という意味の釈迦牟尼や、釈尊、釈迦如来などと呼ばれます。如来とは「タターガター=一切を知る智慧に到達した者」を意訳した尊称です。
如来は頭上にお椀を重ねたような肉髻をあらわし、身には薄い衣(衲衣・大衣)をまといます。手のポーズは印相といって、仏の種類によって変わりますが、釈迦如来の場合は右手を開いて前に見せる施無畏印、左手を開き前に差し出す与願印が比較的多いといえます。
今回ご紹介している釈迦如来像のほとんどもこの印相ですが、他に説法印や定印、降魔印などバリエーションが豊富です。それは、さまざまな経典の中で説かれる人々の苦悩に向き合う聖者としての釈迦如来のイメージや、説法を行いあらゆる者を教導する救済者としての働きを、視覚的に映し出したものといえます。まさしく「仏像」とは、経典に基づき釈迦の姿を表す中で生まれた、信仰の思いを造形化した象徴表現であり、それゆえに千年の時を超え人々を魅了する優れた芸術性をも、その身にまとっているといえるでしょう。
奈良は、日本で仏教が初めて花開いた地です。本誌で紹介している飛鳥寺像、法隆寺金堂像をはじめ、飛鳥時代から桃山時代までの奈良の釈迦如来像は、時代ごとに幾度も根源としての釈迦信仰に立ち返り、また飛鳥・奈良の仏像を古典として振り返りつつ表された、日本仏教史・仏教美術史の展開を体感することのできる作例群といえるでしょう。他にも釈迦如来にまつわる重要な文化財が奈良には多数伝わります。
寺院の塔は、釈迦が埋葬された墳墓であるストゥーパ(卒塔婆)を表したものです。そのため心礎などに仏舎利(釈迦の骨)が納められます。和銅4(711)年に建てられた日本最古の木造塔である法隆寺五重塔の初層には、釈迦の逝去から、遙か未来に弥勒仏が出現するまでの物語が多数の塑像(土製の仏像)によって表されています。このうち北面の涅槃像土は、亡くなり横たわる釈迦の周囲に、嘆き悲しむ僧たちが集まっている光景です。絵に描かれた涅槃図が日本各地に多数残されていますが、これこそが日本最古の涅槃像なのです。
釈迦は、あまりに偉大な存在であったため、没後すぐにはストレートにその姿は表されず、悟りを開いた場所である菩提樹や、足跡だけの表現などにより、象徴的に存在が暗示されていました。次第にストゥーパなどに釈迦の生涯の物語(仏伝)が表されるようになって、仏像が成立していくのです。
薬師寺には、そうした釈迦表現の初期的様相である、足裏に千輻輪や双魚など吉祥相を示した仏足石の、日本最古の作例が伝わります。天平勝宝5(753)年に、インドの鹿野園から唐・長安の普光寺にもたらされた図様を元に作られた由緒正しいものです。
奈良で釈迦の美術をたどれば、まさしくインドから日本に到達した仏教文化の真髄をたどることとなるでしょう。釈迦を偲んで巡る奈良の旅、ぜひお勧めします。