祈りの回廊

祈りの回廊 2022年秋冬版

源義経大和国

源平合戦で平家を倒した平安時代末期の武将、源義経。
奈良には伝承を含め、義経にまつわる場所が数多くあります。

誕生から平泉へ

幼名は牛若丸、平治元年(1159)、源氏の棟梁とうりょう(武家の統率者)源義朝みなもとのよしともと九条院の雑仕女ぞうしめ常盤ときわの間に生まれました。生後すぐに平治へいじらんで父が討たれ、母とともに仇の平清盛に一時庇護されます。その後、母の再婚相手である一条長成いちじょうながなり継子けいしとなり、鞍馬寺に預けられ遮那王しゃなおうと呼ばれます。16歳で京都を脱出し、道中元服して源九郎義経と名乗り、奥州平泉の藤原秀衡ふじわらのひでひらのもとへ身を寄せました。

平家との戦い

治承4年(1180)年、異母兄の源頼朝が伊豆で挙兵すると、平泉から参戦。頼朝の猶子ゆうし(親子関係になること)となり、「御曹司おんぞうし」と呼ばれました。寿永3年(1184)、源義仲みなもとのよしなか軍を破って入京し、一の谷では平家軍に勝利。その後京都に留まった義経は、後白河法皇から検非違使けびいし(平安京の警察機構)左衛門少尉さえもんのしょうじょうの役職を与えられ、のち従五位下となり大夫判官たいふほうがんと呼ばれます。翌元暦2年(1185)2月に屋島、3月には壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼします。

頼朝と対立して
平泉へ

後白河法皇に気に入られた義経は頼朝と対立。挙兵するも失敗し、畿内近国を逃亡すること1年数か月。最後は平泉の秀衡を頼ります。秀衡は義経を支えるよう遺言しましたが、秀衡の死後、頼朝が圧力をかけます。文治5年(1189)閏4月30日、義経は平泉兵の急襲を受け、妻子とともに自刃して果てました。享年31歳。悲運の英雄といわれ、後世、「判官びいき」という言葉が生まれました。

大和国に
助けられた義経

大和国は赤子だった義経の命を助けました。平治の乱後、母の常盤は幼子を連れて大和国宇陀郡竜門牧(宇陀市大宇陀牧)に逃げました。宇陀市の牧や菟田野下芳野うたのしもほうのには常盤や義経の足跡が残っています。
また、頼朝と対立して都落ちしたあとの義経は、吉野山へ逃げ込みました。ここで同道していた静御前と別れた義経は大峰へ入ったとみせかけて、実際は北の多武峰(桜井市)へ向かい、多武峰の寺院の一つ、南院藤室なんいんとうしつの僧・十字坊に匿われます。現在の多武峰観光ホテルが南院藤室跡といわれています。その後、十津川、伊勢、京都で潜行せんこうしたのち、奈良へ戻り、興福寺の勸修坊聖弘かんしゅうぼうしょうこうのもとに隠れます。その時のお礼に残した籠手こてが春日大社に残っています。

後世、芸能の
題材に

義経を題材にした能や謡曲は多く、吉野山に関するものでも「吉野静」「二人静」や、花矢倉で有名な義経忠臣の佐藤忠信が一人踏みとどまり奮戦する「忠信」などの作品があります。さらに「義経千本桜」は浄瑠璃・歌舞伎の傑作のひとつです。それらは史実から生まれ、醸成されたのです。

文・前川佳代
奈良女子大学大和・紀伊半島学研究所古代学・聖地学研究センター協力研究員 著書に『源義経と壇ノ浦』等

源義経 奈良ゆかり地案内
  • 1春日大社かすがたいしゃ

    義経が興福寺勧修坊に残した義経籠手こて(国宝)や、義経所用と伝わる赤糸威大鎧あかいとおどしおおよろい〔竹虎雀飾〕たけとらすずめかざり(国宝)など由緒ある宝物が残っています。

    奈良市春日野町160

    0742-22-7788

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  • 2 談山神社たんざんじんじゃ

    吉野から逃れた義経が向かい、潜伏した場所は、談山神社のある多武峰の寺院の一つです。

    桜井市多武峰319

    0744-49-0001

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  • 3𠮷水神社よしみずじんじゃ

    義経一行を約5日間かくまったと伝わり、書院内に「義経潜居の間」「弁慶思案の間」などがあるほか、鎧や鞍などの宝物も展示されています。

    吉野郡吉野町吉野山579

    0746-32-3024

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  • 4金峯神社・義経隠れ塔きんぷじんじゃ・よしつねかくれとう

    金峯山の地主の神、金山毘古神かなやまひこのかみを祭神とする神社で、中世以降は修験道の行場としても知られています。
    社殿を少し下った所に、追っ手に追われた源義経が身を隠したという義経隠れ塔が残ります。
    屋根を蹴破って逃げたことから、蹴抜けの塔とも言われます。

    吉野郡吉野町吉野山1651

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  • 5蜻蛉せいれいの滝

    室町時代の『義経記』では、「吉野川の水上白糸の滝」という難所に遭遇した場面が描かれています。川上村蜻蛉の滝と推定されています。

    吉野郡川上村西河

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  • 6妙香寺みょうこうじ

    源義経の娘、妙香尼みょうこうにが父と祖母・常盤御前の菩提を弔うために創建したと伝わる寺。常盤御前の念持仏が安置されています。

    宇陀市菟田野下芳野755

語られる義経、演じられる義経

義経の存在は後世に語り継がれ、義経を題材とした能や謡曲、
浄瑠璃、歌舞伎などの芸能にも広がりました。

  • 7源九郎稲荷神社げんくろういなりじんじゃ

    浄瑠璃・歌舞伎の『義経千本桜』に登場する源九郎狐(狐忠信)を祀る神社。歌舞伎俳優などもたびたび参拝しています。

    大和郡山市洞泉寺町15

    0743-55-3830

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  • 8大中公園おおなかこうえん静御前記念碑しずかごぜんきねんひ

    静御前の母の故郷で、諸説ある静御前終焉の場所の一つでもある大和高田市。大中公園周辺には塚など、静御前ゆかりの場所もあります。

    大和高田市大中

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  • 9 花矢倉はなやぐら

    謡曲「忠信」の舞台で、義経の家臣の佐藤忠信が追っ手に矢を放った場所です。桜を一望できる名所でもあります。

    吉野郡吉野町吉野山

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奈良で味わうゆかりの味

義経の伝承から派生した食、後世につくられた物語と結びつけられた食など、
義経のゆかりの味も色々あります。

  • 10 多武峰観光とうのみねかんこう ホテルの「義経鍋よしつねなべ

    義経を匿った南院藤室十字坊の跡地に建つホテル。十字坊がふるまったという「義経鍋」を提供しています。

    桜井市多武峰432

    0744-49-0111

    • 義経鍋は7,260円(税込、1人前)~
    • 2名から予約可能
    • 不定休のため、事前に電話予約必須
    • 宿泊プランもあり
  • 11つるべすし弥助 やすけ
    あゆ姿寿司すがたずし

    浄瑠璃、歌舞伎の『義経千本桜』の「すしやの段」に登場するつるべすし弥助は、現存最古のすし屋としても知られています。

    吉野郡下市町下市533

    0747-52-0008

    • 鮎定食 3,900円(税別)~