祈りの回廊

祈りの回廊 2020年春夏版

古代日本を形作った大政治家

藤原不比等ふじわらのふひと

中大兄(なかのおおえ)皇子(天智(てんじ)天皇)とともに大化改新を断行した中臣(なかとみ)(藤原)鎌足(かまたり)の子・藤原不比等。大宝律令の制定に関わり、平城京遷都を主導し、ついには自身の孫である首(おびと)皇子(聖武(しょうむ)天皇)を即位させた、古代日本の大政治家です。今年は、不比等没後1300年となる年。1000年以上にわたって続く藤原氏繁栄の礎を築いた、その足跡をたどります。

2010年に復原された第一次大極殿。高さ約27mの壮大な建物で、内部も見学できます

藤原家家系図

藤原家家系図

 大宝元年(701)は藤原不比等にとって、とても重要な年となりました。ひとつは、不比等も制定に大きく関わった大宝律令が施行され、日本の律令国家としての歩みが始まったこと。もうひとつは、娘の宮子(みやこ)と文武(もんむ)天皇との間に、首皇子が生まれたことです。またこの年、不比等自身も県犬養三千代(あがたのいぬかいのみちよ)との間に光明子(こうみょうし)をもうけています。当時不比等は44歳。その人生でもっとも充実した年だったといえます。
 不比等が正史に初めて登場するのは、持統天皇3年(689)のこと。『日本書紀』には、不比等がこの年、現在の裁判官に相当する判事の一人に任官されたことが記されています。その後697年には文武天皇が即位。不比等はこの文武天皇から格別の信頼を得ていたらしく、即位後まもなく娘の宮子を入内させ、また文武天皇2年(698)には、中臣鎌足が晩年天智天皇から賜った藤原の姓を、不比等とその子孫のみのものとする詔も出ています。しかし慶雲4年(707)、文武天皇は25歳の若さで崩御。その遺児で不比等の孫である首皇子は当時まだ7歳。この時から、首皇子を皇位につけることが、不比等や文武天皇に近い皇族の、共通の目的となりました。
 首皇子の成長を待つ間、別の皇子が即位しては、その子供が皇太子となってしまいます。そこで考え出されたのが、文武天皇の母親である女帝・元明(げんめい)天皇の即位です。首皇子の即位という目的を天皇と共有する不比等は、以後絶大な権力を振るうこととなりました。平城京遷都は、この元明天皇の時代に行われたことです。
 元明天皇は和銅8年(715)、娘で首皇子の伯母の元正(げんしょう)天皇に譲位します。首皇子は当時15歳。すでに元服し皇太子となっていましたが、この元正天皇の即位にも、不比等らの深い深謀遠慮があったと考えられます。高齢の元明天皇が直接首皇子に譲位すると、元明天皇に万一のことがあった場合、首皇子の後ろ盾が無くなってしまいます。そこで、まだ若い元正天皇を間に入れ、首皇子即位後の地位をより万全にしようとしたのでしょう。元正天皇は当時36歳。この年まで未婚でいたことを考えると、このことは元明天皇即位時から予定されていたのかもしれません。
 霊亀2年(716)、首皇子は不比等の娘・光明子と結婚し、2年後には阿倍(あべ)内親王(後の孝謙・称徳天皇)が生まれています。首皇子が即位し聖武天皇となったのは神亀元年(724)のこと。しかし不比等はその4年前に亡くなっており、念願だった首皇子の即位を見届けることはできませんでした。その後、不比等の子の武智麻呂(むちまろ)、房前(ふささき)、宇合(うまかい)、麻呂(まろ)は最大の政敵であった長屋王(ながやおう)を長屋王の変で自害に追い込み、光明子は皇族以外では初の皇后となります。以後藤原氏の繁栄は、1000年以上にわたり続くこととなるのです。

※記載している年齢は数え年です。また生没年には諸説あります

  • 復原 朱雀門

    平城宮の正門。奈良時代には門前で、庶民の歌垣なども行われました。現在の門は1998年、法隆寺中門や薬師寺東塔などを参考に復原されました。

  • 復原 東院庭園

    平城宮の東の張り出し部分に造営された庭園で、日本庭園のルーツといわれます。現在のものは1998年の復原で、特別名勝に指定されています。

平城宮跡(へいじょうきゅうせき)

藤原不比等らが活躍した平城京の宮跡は、今も広大な歴史公園として保存されています。
宮の正門である朱雀門、天皇の即位式などが行われた第一次大極殿などが復原され、往時の繁栄をしのぶことができます。

  • 奈良市二条大路南(朱雀門ひろば)
  • 0742-36-8780(平城宮跡管理センター)
  • ●JR奈良駅西口・近鉄奈良駅から学園前駅行きバス「朱雀門ひろば前」下車、徒歩すぐ
     *ぐるっとバス「大宮通りルート」朱雀門ひろば行きもあり
    ●近鉄大和西大寺駅南口または新大宮駅から徒歩約20分
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藤原不比等ゆかりの社寺

興福寺

写真:中金堂(株)飛鳥園

興福寺(こうふくじ)

平城京遷都時に藤原不比等が創建。平安遷都後も名門・藤原氏の氏寺として大いに栄えました。北円堂〈国宝〉は不比等の一周忌に元明太上天皇と元正天皇が建立した堂で、現在のものは鎌倉期の再建ですが、創建当初の様式を伝えています。

  • 奈良市登大路町48
  • 0742-22-7755
  • ●JR奈良駅から市内循環バス「県庁前」下車、徒歩すぐ
    ●近鉄奈良駅から徒歩約5分
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春日大社

写真:春日大社(中門・御廊)

春日大社(かすがたいしゃ)

平城京ができたころ、常陸国(茨城県)の鹿島から武甕槌命(たけみかづちのみこと)を勧請して都の守り神とし、神護景雲2年(768)に社殿が造営されました。国宝殿には国宝や重文指定の多くの宝物が収蔵されています。

  • 奈良市春日野町160
  • 0742-22-7788
  • ●JR・近鉄奈良駅から春日大社本殿行きバス終点下車、徒歩すぐ
    ●JR・近鉄奈良駅から市内循環バス「春日大社表参道」下車、徒 歩約10分
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當麻寺 奥院

写真:奈良市観光協会

法華寺(ほっけじ)

藤原不比等の邸宅を相続した光明皇后が皇后宮とし、後に寺に改めて総国分尼寺としたのが寺の始まりです。本尊の十一面観音立像〈国宝〉は蓮池を渡る光明皇后がモデルと伝わり、動きのある足元やハスの蕾や葉の光背が印象的です。

  • 奈良市法華寺町882
  • 0742-33-2261
  • ●JR・近鉄奈良駅から大和西大寺駅、航空自衛隊行きバスまたは近鉄大和西大寺駅からJR・近鉄奈良駅行きバス「法華寺」下車、徒歩約3分
    ●近鉄新大宮駅から徒歩約15分
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