お寺には数百年、ときには千年以上前に造られた仏像が、当たり前のように祀られています。その背景には、像を後世に伝えるため、技術を受け継いできた仏師たちの存在があります。奈良市の円成寺には、鎌倉時代の天才仏師・運慶作の大日如来坐像〈国宝〉が祀られていますが、平成29年3月、その像を模刻した、新たな大日如来坐像が奉安されました。像を制作した東京藝術大学の藤曲隆哉さんは「文化財を未来へつなぐリレーは、今もつながっているんです」と話します。
写真左/藤曲隆哉氏が模刻した大日如来坐像 右/運慶作・大日如来坐像〈国宝〉
八百余年を経て伝わる大日如来
円成寺は奈良市東部の山間、市街地から車で20分ほどの場所に立つ古刹です。境内に入るとまず目に入るのは、平安時代の浄土式庭園の遺構である名勝庭園。その一段上の台地に、楼門(重文)、本堂(重文)、多宝塔などの堂塔が並びます。運慶作の大日如来坐像は、平成29年に新設された相應殿(そうおうでん)に安置されています。藤曲さんはこの像を、「やや肘を張るように智拳印(ちけんいん)を結び、正面はシンメトリックで緊張感のある造形ながら、横から見ると有機的な美しさがある。しかもどこにも破綻がない。運慶の最初期の作として知られていますが、以降もこの像を超える大日如来はないと思います」と絶賛します。
藤曲さんがこの大日如来坐像の模刻を始めたのは、東京藝術大学大学院修士課程に在籍していた平成18年。模刻は、仏像修復の技術を学ぶ保存修復彫刻研究室のカリキュラムのひとつでした。「実は入学前は、何百年も前の仏像が今に伝わっていることを、当然のように考えていたんです」と藤曲さん。選りすぐりの木材を使い、一流の仏師が造るから丈夫なのだろうと、漠然と思っていたそうです。「でも、そうじゃない。何百年もの歴史の中で、それぞれの時代の仏師たちが修理しながら、受け継いできたものなんです」
今は3D計測データなどもあり、ある程度研究室で作業することも可能です。しかし藤曲さんは、「それでも現場は大切」と話します。「どんなに優れたデータも、生の情報には敵わない。大日如来の足は結跏趺坐(けっかふざ)を組みますが、その足裏の湾曲は、下にある膝の形を感じさせるほど自然です。柔らかさすら感じるこの造形は、ピクセルやドットのデータを追いかけて彫るだけではできません」。藤曲さんは夏休み期間、境内の庫裏(くり)に泊まり込んで模刻に取り組みましたが、像の表面に残るわずかな漆の塗膜表情が、陽が沈むにつれ移り変わる見え方まで感じながら作業することが、とても大切だと感じたそうです。模刻した大日如来坐像は、以前運慶像が安置されていた多宝塔に祀られています。
運慶が求めた新たな造形
藤曲さんは博士論文でも、この大日如来坐像について考察しています。その中で3Dデータを使った比較から、像は運慶の父・康慶と同じ図面を使って制作されており、その上で運慶は、図面より上体を約4度後傾させるという工夫をしていることを指摘しました。「制作者の目線で言うと、この約4度傾けるというのは、大変なことなんです。これには、当時の仏像彫刻について説明する必要があります」
運慶が活躍したのは、平安末期~鎌倉初期。それ以前の仏像は、平安後期に定朝(じょうちょう)が確立した「定朝様(じょうちょうよう)」という様式が一般化していました。定朝様の代表的な例としては、木津川市の浄瑠璃寺に安置される九体(くたい)阿弥陀如来像〈国宝〉などがあります。「定朝様というのは、作り手の立場から見ると、非常に合理的なんです。例えば鼻先と腹部がほぼ垂直線上にあり、上体がスクエアの中にすっぽりと収まる。これは、用意された角材を無駄なく使うことにつながります」
当時は仏像を作るための部材も、この定朝様の展開の中で流通していたと考えられ、康慶の図面は、その材に合わせて引かれたものと想像できます。「しかし運慶は康慶の図面を使いながらも、上体を後傾させるという新たな造形を作り上げた。これにより、運慶の大日如来は姿勢の制約から解放され、肘と胸を張った、自然で緊張感のある姿を手に入れました」。運慶はこの後もいくつか大日如来を制作していますが、上体の姿勢は円成寺の像と共通しています。相應殿では像の横に回り込むこともでき、運慶がこだわった姿勢を間近に見ることができます。
運慶はなぜ、このような造形を生み出したのでしょうか。それには、運慶ら慶派仏師の工房が、古仏の多い奈良にあったことが関係していると、藤曲さんは考えています。「円成寺大日如来の光背の中心は、下にぐっと下がっています。これは、唐招提寺の千手観音立像〈国宝〉など、天平時代の乾漆像に見られる形です。運慶たちは古仏の優れた造形を、どんどん自分のデザインに取り込んでいった。奈良仏師といわれるゆえんだと思います」
天平仏に限らず、奈良に伝わる仏像の多様性は、全国でも類を見ません。明日香村の飛鳥寺や斑鳩町の法隆寺では仏教伝来当初の飛鳥仏がアルカイックスマイルと呼ばれる微笑を浮かべ、奈良市の薬師寺では、白鳳仏の傑作といわれる薬師三尊像〈国宝〉が神秘的な美しさを見せます。また、宇陀市の室生寺金堂〈国宝〉では、中尊の釈迦如来立像〈国宝〉を中心に平安時代の5尊が堂々とした体躯を並べます(※)。運慶による新たな造形は、多様な仏像を守り伝えてきた、奈良の文化の厚みと無関係ではありません。
藤曲 隆哉 (ふじまがり たかや)
昭和57年東京に生まれる。
東京藝術大学大学院 美術研究科文化財保存学 保存修復彫刻研究室 博士後期課程修了。在学中から円成寺大日如来の模刻などに取り組む。現在同大学院非常勤講師。平成28年より合同会社藤白彫刻研究所代表