わらしべ長者(わらしべちょうじゃ)
むかしある貧しい男が、貧乏から逃れたいと長谷の観音様に願をかけ「寺を出て、手に触れたものがあれば、それがどんなものでも大事にしなさい」とお告げを受けました。
ところが男は寺を出るとすぐに転んでしまい、偶然手にしたのは一本のわらしべ。それでもお告げ通り、そのわらしべを大切に持って帰ることにしました。
翌朝、顔の周りを飛び回るアブをわらしべでひっくくり歩いていると、子供が「その手のものが欲しい」とねだります。これは観音様からの賜り物だからと男は悩みますが、結局差し出し、お礼としてミカンを受け取りました。さらに歩くと、今度はのどの渇きに苦しむ貴人がいます。気の毒に思った男がミカンを差し出すとお礼にと反物を渡され、次に反物を馬と交換し…。ついに男は、田も米も手に入れ、裕福な暮らしができるようになりました。(今昔物語集 第十六巻二十八話)
長谷寺(はせでら)
本尊の十一面観音菩薩立像は、奈良時代に徳道(とくどう)上人が安置したのが始まりと伝わります。その霊験は広く知られ、平安時代には長谷詣が大流行しました。物語からは、長谷観音への強い信仰がうかがえます。
- 桜井市初瀬731-1
- 0744-47-7001
- 近鉄長谷寺駅から徒歩約15分
狐忠信(きつねただのぶ)
源平合戦に勝利した源義経は、兄・頼朝に謀反の疑いをかけられ吉野に逃れました。そこに現れたのは、静御前の警護を任せたはずの家来の佐藤忠信。しかしそのすぐあとに、静御前と一緒に、もう一人の忠信が到着します。
実は静御前のお供をしていた忠信は、狐が化けたものでした。聞けば静御前の持つ鼓は、その親狐の皮で作られており、鼓を慕って、付き従っていたといいます。義経はこれまで静御前を守った褒美として、狐にその鼓を与えました。
その後、一行は義経を狙う僧兵に攻められますが、狐忠信の神通力もあり、無事、危機を切り抜けることができました。(義経千本桜 四段目河連法眼館の段)
源九郎稲荷神社(げんくろういなりじんじゃ)
九郎は源義経の幼名。忠信に化けた狐は静御前の警護役として九郎義経の名乗りを許され、後にこの神社に祀られました。『義経千本桜』は今も歌舞伎や浄瑠璃の人気演目で、たびたび関係者が参拝に訪れています。
- 大和郡山市洞泉寺町15
- 0743-55-3830
- JR・近鉄郡山駅から徒歩約10分
久米仙人(くめせんにん)
むかし、久米という男が吉野で修行を重ね、仙人となって飛行の術を身に付けました。しかしある日、若い女が着物をたくし上げ洗濯をしている姿に見とれ、墜落してしまいます。その後、久米は、その女と夫婦となりました。
そのころ、朝廷は新たな都を作るため人夫を集めており、久米も駆り出されます。久米の評判を聞いた役人は「本当に仙人だったのなら材木を術で運んでみせろ」と言いました。久米は道場に籠り一週間祈り続け、見事たくさんの材木を工事現場まで飛ばしました。その時の褒美で建立したのが、今の久米寺ということです。(今昔物語集 第十一巻二十四話)
久米寺(くめでら)
本堂内には本尊薬師如来像のほか久米仙人像を安置。本堂の脇にも、どこかひょうきんな顔つきの久米仙人像が立っています。久米仙人の話のほか、聖徳太子の弟・来目皇子が創建したという伝承もあります。
- 橿原市久米町502
- 0744-27-2470
- 近鉄橿原神宮前駅から徒歩約5分
空を飛んだ倉(そらをとんだくら)
むかし、信貴山に籠り、修行に打ち込む聖がいました。麓にはとても裕福な男が住んでいて、聖の鉢はいつもそこに飛んでいき、食べ物などを入れてもらっていました。
ある日、男が倉の整理をしていると、また鉢が飛んできました。しかし男は「いつも欲張りな鉢だ」と倉の隅に投げ置き、やがて鉢のことなどすっかり忘れて帰ってしまいました。しばらくすると、倉は揺れ動き始め、やがてふわりと浮かび上がりました。
男はようやく鉢のことを思い出しましたが、どうすることもできません。倉は、山中の聖の僧房まで飛んで行きました。
男は聖に事情を話し、返してほしいと頼みますが、聖は「鉢に乗って来たのだから倉は返せない。ただ中の物はそっくり返そう」と、鉢に米一俵を乗せ飛ばすと、残りの俵も続いて飛び、すべて男の家に戻ったということです。(宇治拾遺物語 第八巻三話)
信貴山朝護孫子寺(しぎさんちょうごそんしじ)
飛鳥時代に聖徳太子が創建したと伝わる古刹。物語に登場する聖は、平安中期にお寺を中興した命蓮上人がモデルです。境内の霊宝館では、物語を絵にした「信貴山縁起絵巻」(模写)も見ることができます。
- 生駒郡平群町信貴山2280-1
- 0745-72-2277(本坊)
- JR・近鉄王寺駅 または 近鉄信貴山下駅から信貴山門行きバス「信貴大橋」下車、徒歩約5分
一刀石と柳生宗厳(いっとうせきとやぎゅうむねよし)
柳生新陰流の達人で、徳川家康に無刀取りを披露したことでも知られる柳生宗厳。昔、柳生の戸岩谷付近には天狗がおり、宗厳は夜な夜なその谷で天狗と試合をしたといいます。
ある夜、ついに天狗を一刀のもとに切り捨てた宗厳。しかしよく見ると、切ったはずの天狗の姿はなく、二つに割れた大岩が残っていたそうです。
柳生一帯にはこの大岩以外にもたくさんの巨石があり、すぐ北の天乃石立(あまのいわたて)神社には天岩戸の扉石と伝わる岩戸石が、御神体として祀られています。(奈良市史 民俗編)
一刀石(いっとうせき)
宗厳が両断したという石は、戸岩谷の林の中に今も残っています。約7m四方の巨石で、中央に入った亀裂は、宗厳の太刀筋がいかに鋭かったかを物語るようです。表面には、天狗の足跡と呼ばれる跡が残ります。
- 奈良市柳生町
- 742-94-0002(柳生観光協会)
- JR・近鉄奈良駅から柳生・邑地中村行きバス「柳生」下車、徒歩約20分
百螺岳大蛇(ひゃっかいだけのだいじゃ)
むかし、大峯山に大蛇が棲みつき、行者に危害を加えていました。この大蛇の退治に向かったのが、理源大師(りげんだいし)。武勇に優れた先達(せんだつ)(※)の箱屋勘兵衛(はこやかんべえ)をつれて、鳥栖(とりすみ)山に登りました。
山中で大師が法螺貝を吹き鳴らすと、百の法螺貝を一斉に吹いたように山々に響きわたりました。大蛇は音にさそわれて向かってきます。大師は法力で呪縛し、勘兵衛はその隙を逃さず大鉞で斬りかかり、ついに大蛇を退治しました。おかげで、大峯山の行者道は再び開かれ、以来、法螺貝の音が響いた鳥栖山を、百螺岳(百貝岳)と呼ぶようになりました。
また、大師はよく餅飯を持参する勘兵衛を「餅飯殿」と愛称され、今も勘兵衛の住んでいた奈良市の一角には餅飯殿町という町名が残っています。(黒滝村史)
※経験を積み、指導者の役割を果たす山伏
鳳閣寺(ほうかくじ)
百貝岳の中腹にある寺で、飛鳥時代に役行者が開き、平安時代に理源大師が中興したと伝わります。背後の山中には、大師の廟と伝わる石の廟塔と、箱屋勘兵衛の墓が残っています。
- 吉野郡黒滝村鳥住90
- 0747-62-2314(黒滝村 教育委員会)
- 鉄下市口駅からバス「黒滝案内センター」乗換、村ふれあいバス「鳥住」下車、徒歩約30分 ※土日は下市口駅からタクシー利用、徒歩約5分
お里と沢市(おさととさわいち)
むかし、お里と沢市という夫婦がいました。沢市は盲目でしたが琴や三味線を教え、つつましく暮らしていました。
あるとき沢市は、お里が毎日早朝、外出していることに気付きます。沢市はもしや浮気かと疑いますが、実はお里は沢市の目が治るよう、毎日壷阪寺に朝詣でしていたことを知りました。沢市は自分を恥じ、一緒に壷阪寺に詣でることになりました。
しかし沢市は、盲目のせいでお里に苦労をかけていると自分を責め、ついに谷に身を投げてしまいます。それを知ったお里もまた、後を追って身投げしました。
その切ない夫婦愛が、観音様の霊験による奇跡を起こし、二人は助かり、沢市の目も開眼したということです。(壺坂霊験記)
壷阪寺(つぼさかでら)
奈良時代に創建され、本尊十一面千手観音菩薩は古くから眼病平癒にご利益がある観音様として知られてきました。本堂の脇には、お里と沢市が身を投げたという谷があり、2人の像が立っています。
- 高市郡高取町壷阪3
- 0744-52-2016
- 近鉄壺阪山駅から壷阪寺前行きバス終点下車、徒歩すぐ
夢淵・魚見石(ゆめぶち・うおみいし) (ゆめぶち・うおみいし)
神武天皇の大和平定の際、敵軍が要害に拠点を構え待ち受けていたことがありました。道もふさがれ、通るところもありません。その夜、天皇の夢に天神が現れ、「天の香具山の土でお神酒を入れる厳瓮(いつへ)(※)を作りなさい」と告げました。
そうしてお告げ通り厳瓮を作り、丹生の川岸で占って「私は今、厳瓮を川に沈める。もし魚が酔い、マキの葉のように流れれば、自分はこの国を平定するだろう」と言われ、厳瓮を沈めました。果たして天皇の言葉通り、魚はみな酔い、木の葉のように浮いてきました。その後、神託通り天皇は大和を平定され、橿原宮で即位されました。
天皇が厳瓮を沈められた場所を夢淵、臣下が魚の様子を見届けた場所を魚見石といい、今も顕彰されています。(日本書紀 第三巻)
※祭祀に用いる神聖な土器
丹生川上神社中社(にうかわかみじんじゃなかしゃ)
水を司る神様として信仰され、古くから神社に黒馬を奉納すると雨が降り、白馬を奉納すると雨が止むと朝廷からも崇敬されてきました。夢淵(写真)は神社のすぐ東に、魚見石は西へ1㎞ほどの場所にあります。
- 吉野郡東吉野村小968
- 0746-32-5050
- 近鉄榛原駅から東吉野村役場行きバス終点(休日は菟田野行きバス終点)乗換、コミュニティバス「蟻通」下車、徒歩すぐ※休日のコミュニティバス利用は要予約
観音さまのご加護で幸せを手にしたり、特別な法力で怪物と戦ったり。
奈良には、不思議な霊験譚がいくつも伝わっています。
そこには、神仏をもっと身近に感じたいと願う、人々の祈りが込められています。