祈りの回廊

祈りの回廊 2017年秋冬版

運慶快慶

東大寺南大門〈国宝〉の金剛力士立像(仁王像)〈国宝〉写真左:阿形像 写真右:吽形像(写真:(株)飛鳥園)


2017 年春に奈良国立博物館で快慶展が、秋に東京国立博物館で運慶展が開催され、今再び注目を集める2人の仏師。
鎌倉期の東大寺、興福寺の復興などで活躍し、平安後期に流行した優美な仏像とは明らかに異なる、
生命力とリアリズムにあふれたたくさんの仏像を生み出しました。
今回は、奈良市内に工房を構える新進気鋭の仏師・吉水快聞さんに、2 人について話していただきました。

運慶・快慶の登場

東大寺南大門にある、筋肉隆々の巨大な仁王像〈国宝〉。高さ8mを超えるこの2体の巨像を、運慶は快慶ら一門を率い、わずか69日で作り上げたと伝わります。完成したのは建仁3年(1203)。平安時代末に平重衡(たいらのしげひら)に焼かれ、荒廃した東大寺、興福寺の復興が進められた時代でした。吉水さんは「大胆で、生命力にあふれた体躯。この今にも動き出しそうな躍動感は、運慶が求めた理想でしょう」と語ります。「運慶はおそらく、人そのものに興味があったと思うんです。同じく運慶作といわれる、東大寺俊乗堂(しゅんじょうどう)の重源(ちょうげん)上人坐像〈国宝〉を見てもそれは感じる。棟梁である運慶の描いた理想を、快慶たち一門が形にした。そういう意味では、この仁王像は運慶の作品と言えると思います」と。

運慶・快慶が活躍したのは、貴族社会だった平安時代から、武家中心の鎌倉時代に移行する過渡期です。新しい権力者である武士たちは、それまでとは違う、新しい文化を求めました。当時主流だった院派、円派などの仏師は京都を中心に活動していましたが、運慶・快慶に代表される慶派は、興福寺を拠点にした奈良仏師の一派。「慶派の作品を全く新しい様式と捉える方もいますが、私はそうは思っていません。あれは一種のルネッサンスです」。当時流行していた定朝様(じょうちょうよう)と呼ばれる仏像より、さらに古い天平仏(奈良時代の仏像)などに触れる機会の多かった慶派仏師が、その影響を受けながら、独自の工夫を重ねつつ生みだしたのが、慶派の作風だと吉水さんは考えています。興福寺南円堂には、不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのん)坐像〈国宝〉が祀られています。この像は、運慶の父・康慶(こうけい)の作。吉水さんは、「運慶を語る上で、康慶の存在は欠かせません。私は、仏像造りに劇的な変化を起こしたのは、運慶よりも、むしろ康慶の方だと思っています」と語ります。「この南円堂の像とぜひ見比べてほしいのが、運慶最初期の作として知られる円成寺の大日如来坐像〈国宝〉です。雰囲気が似ていると感じませんか。運慶は康慶の跡を継ぎ、慶派の作風を大成させた。そう考えると、運慶は突然出てきたスーパースターではないと気付くと思います」。

重源

東大寺:俊乗房重源上人坐像〈国宝〉
(写真:奈良国立博物館)

不空羂索観音

興福寺:不空羂索観音菩薩坐像〈国宝〉
(写真:(株)飛鳥園)

作風に現れた、方向性の違い

人間が好きだった運慶に対し、快慶は理想としての仏の姿を追ったといわれます。快慶の作品には特に阿弥陀如来が多く、その繊細な表現は衣文や金具などの細部にまで及び、静謐(せいひつ)な美しさをたたえています。「同じ慶派であっても、2人は目指していたものが違ったかと思います。慶派の棟梁は、あくまで運慶です。ただ同じ時代に、快慶は運慶以上にたくさんの仏像を残している。このことを見ても、快慶は慶派に属しながらも独立した工房を構えたと考えるべきでしょう」。
東大寺俊乗堂の阿弥陀如来立像(重文)は、快慶の代表作の一つとして知られ、重源上人の臨終仏ともいわれています。「快慶らしさが表れている仏像だと思います。例えば、金泥塗(きんでいぬり)の上に、髪の毛ほどの細い截金(きりかね)で文様を描くという技法。この繊細な表現を仏像に用いたのは、快慶が最初だと考えられています。どこまでも理想を追及した、一点の隙もない造形。それが快慶の仏像といえるでしょう」。
快慶作と確証のある像は運慶より多く、また驚くほど保存状態が良好なケースも多々見られます。吉水さんは、「そのことと、快慶の繊細な作風とは無関係ではないと思います」と語ります。「人は、本当に完成度の高いものを見ると、触れることさえできない。だからこそ、これほど美しい状態を保つことができたのではないでしょうか」。東大寺に快慶が残した傑作としては、勧進所阿弥陀堂の僧形八幡神(そうぎょうはちまんしん)坐像〈国宝〉もよく知られています。こちらも鮮やかな彩色が残り、写実的でありながらも、それを超えた、深遠な美しさを放ちます。

阿弥陀如来

東大寺:阿弥陀如来立像(重文)(写真:(株)飛鳥園

僧形八幡神

東大寺:僧形八幡神坐像〈国宝〉(写真:(株)飛鳥園)

刻まれる歴史こそ仏師の力

現在でこそ、運慶展・快慶展のように、お寺以外で仏像と会える機会もありますが、仏像は本来、お寺のお堂などに安置されるものです。「特別な照明器具も無かった当時、堂内に安置された仏像がどのように見えるか。仏師は必ず考えています」と吉水さん。残念ながら東大寺、興福寺に鎌倉復興期から残るお堂は多くありませんが、興福寺北円堂は例外的に、当時のままの姿を伝えています。堂内には晩年の運慶が関わったという弥勒如来坐像〈国宝〉や無著(むじゃく)・世親(せしん)立像〈国宝〉などが安置され、運慶らが思い描いた世界が広がっています。「細部までこだわった手や顔の表情に比べ、衣には大胆さ、勢いがあります。快慶の作品とはまた違う、表現の追求を感じます」。須弥壇(しゅみだん)四方では平安時代の四天王立像〈国宝〉がにらみを利かせていますが、すぐ南の南円堂には無著・世親立像と同じ桂材の四天王立像〈国宝〉が安置されており、実はこの南円堂の四天王こそが、本来の北円堂の四天王像なのではないかともいわれています。

吉水 快聞(よしみず かいもん)

吉水 快聞(よしみず かいもん)

1982年、奈良県の寺院に生まれる。東京藝術大学大学院にて快慶の阿弥陀如来立像を中心に研究を行い、2011年博士号(文化財)を取得。同年より彫刻家として奈良市内に工房「巧匠堂」を構え、仏像等の制作を行う。大正大学客員教授、龍谷大学非常勤講師。

運慶・快慶が残した仏像を拝観に

東大寺

写真提供:奈良市観光協会

東大寺(とうだいじ)

本尊は「奈良の大仏さま」と親しまれる盧舎那仏坐像〈国宝〉。俊乗堂の重源上人坐像〈国宝〉、阿弥陀如来立像(重文)※は7月5日と12月16日、勧進所阿弥陀堂の僧形八幡神坐像〈国宝〉は10月5日のみ拝観できます。

※阿弥陀如来立像は例年は拝観できますが、H29.12/16は修理のため拝観不可

  • 奈良市雑司町406-1
  • 0742-22-5511
  • JR・近鉄奈良駅から市内循環バス「東大寺大仏殿・春日大社前」下車
    徒歩約5分/近鉄奈良駅から徒歩約20分
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興福寺

写真提供:奈良市観光協会

興福寺(こうふくじ)

天平仏の阿修羅像〈国宝〉をはじめ、たくさんの寺宝を伝えるお寺です。南円堂は10月17日、北円堂は4月下旬〜5月上旬と10月下旬〜11月上旬に開扉されます(2017年秋は北円堂の開扉はなし)。
※耐震工事のため閉館中の国宝館は、2018年1月にリニューアルオープン。

  • 奈良市登大路町48
  • 0742-22-7755
  • JR奈良駅から市内循環バス「県庁前」下車、徒歩すぐ
    近鉄奈良駅から徒歩約5分
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安養寺 阿弥陀如来

阿弥陀如来立像(重文)(写真:田原本町教育委員会)

安養寺(あんようじ)

本尊は安土桃山時代の阿弥陀如来坐像ですが、別に客仏として、快慶作の阿弥陀如来立像(重文)を阿弥陀堂に安置しています。拝観は予約が必要です。

  • 田原本町八尾40
  • 0744-33-0753
  • 近鉄田原本駅から徒歩約20分またはタクシー5分
文殊院

渡海文殊菩薩群像〈国宝〉(写真:安倍文殊院)

安倍文殊院(あべもんじゅいん)

本尊の騎獅文殊菩薩像〈国宝〉は、総高7mにもなる日本最大の文殊像(獅子は後補)。快慶円熟期の作として知られる、4人の脇侍を従えた、渡海文殊菩薩群像です。

  • 桜井市阿部645
  • 0744-43-0002
  • JR・近鉄桜井駅から桜井市コミュニティバス または 石舞台行きバス「安倍文殊院」下車、徒歩すぐ
    JR・近鉄桜井駅から徒歩約20 分 または タクシー約5分
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円城寺 大日如来

大日如来坐像〈国宝〉(写真:(株)飛鳥園)

円成寺(えんじょうじ)

国の名勝の美しい浄土庭園で知られる古刹。運慶作の大日如来坐像〈国宝〉※は多宝塔内で、鮮やかな仏画に囲まれて安置されています。本堂には平安後期の阿弥陀如来坐像(重文)を安置しています。
※9/26(火)~11/26(日)に開催される東京国立博物館「運慶展」に出陳されます

  • 奈良市忍辱山町1273
  • 0742-93-0353
  • JR・近鉄奈良駅から柳生行きバス「忍辱山(にんにくせん)」下車、徒歩約2分
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