全国に3,000近くあるといわれている春日神社の総本社、春日大社。
奈良時代に、平城京の鎮護そして日本の国の繁栄と国民の幸せを願って創祀されました。
春日大社ならではの神話、身の回りに息づく春日信仰、そして20年に一度の祭典とは?
「式年造替」にあわせて巡りたい、春日大社ゆかりの社寺をご紹介します。
かすがたいしゃ春日大社
春日大社の始まりと霊験あらたかな四神
社伝によると、奈良時代の初め遠く鹿島神宮(茨城県)から鹿島神・武甕槌命(たけみかづちのみこと)を春日の地にお迎えし、御蓋山(みかさやま)山頂の浮雲峰(うきぐものみね)にお遷りになったといいます。その後、山の中腹に南向きの社殿を造営し、香取神宮(千葉県)の経津主大神(ふつぬしのおおかみ)、枚岡神社(大阪府)の天児屋根命(あめのこやねのみこと)と比売神(ひめがみ)をお迎えし、あわせて四柱の神様を祀ったのが春日大社の始まり。武甕槌命は勇猛な雷神、経津主命は水を治める神様、天児屋根命と比売神は祭事の神様で、総称して春日皇大神と呼ばれています。
春日大社ならではの奥深い神話を紡ぐ
武甕槌命は鹿島から白い鹿に乗って来られました。道中、休憩したとされる場所が全国に数カ所あります。春日に着いた武甕槌命が鹿から降りた場所といわれるのが、萬葉植物園近くの「鹿道(ろくどう)の辻」。鹿道に着いたのが夜半で足元が暗かったため、お供の八代尊(やしろのみこと)が口から火を出して道明かりとしたところ、火が消えずに飛び回ったことから「飛火野(とびひの)」という名がついた、といった春日大社ならではの神話もあり、鹿は古くから「神鹿(しんろく)」として崇められ大切にされてきました。
1300年途切れることなく続いてきた式年造替
春日大社は創建以来、20年ごとに御殿の建て替えを行う「式年造替」を斎行してきました。伊勢神宮や出雲大社のように神様が引っ越しされることを「遷宮」といいますが、春日大社では本殿の位置は変えずに建て替え、あるいは修繕を行うため「造替」といいます。平成27年は神様に「移殿(うつしどの)」へ一時お遷りいただく「仮殿遷座祭(かりでんせんざさい)」が、平成28年には神様に修繕を終えた元の本殿にお還りいただく「本殿遷座祭(ほんでんせんざさい)」が執り行われるなど、第六十次式年造替はクライマックスを迎えます。
- 奈良市春日野町160
- 0742-22-7788
- 本社/4月~9月は6:00~18:00、
10月~3月は6:30~17:00(※諸行事の際は変更) - 境内無料
- JR・近鉄奈良駅から春日大社本殿行バス終点下車すぐ/
JR・近鉄奈良駅→市内循環バス「春日大社表参道」下車徒歩約7分
こうふくじ なんえんどう興福寺 南円堂
藤原氏の氏寺で春日神の本地仏を祀る
興福寺の創建は平城遷都と同じ710年。遷都をリードした藤原不比等は自らの氏寺も飛鳥から移し、興福寺と名づけました。数ある堂宇の中でも、藤原内麻呂・冬嗣親子ゆかりの南円堂は春日信仰が密接に結びついたお堂で、本尊の不空羂索観音菩薩は春日神の本地仏(=神の正体とされる仏)とも。本尊前の厨子の中には、赤童子という春日の神像が安置されています。
※南円堂の内陣は通常非公開(10月17日のみ公開)
- 奈良市登大路町48
- 0742-22-7755
- 境内自由(国宝館・東金堂9:00〜17:00)
- 境内無料(国宝館600円、東金堂300円、国宝館・東金堂共通券800円)
※南円堂特別公開は10月17日(拝観時間9:00~17:00、拝観料300円)
※大般若転読会は13:00~ - JR・近鉄奈良駅から春日大社本殿行バス終点下車すぐ/
JR・近鉄奈良駅→市内循環バス「春日大社表参道」下車徒歩約7分
いそのかみじんぐう石上神宮
建御雷神の霊剣を祀る日本最古の神宮
御神体である布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊「布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)」を主祭神とする、日本最古の神社の一つ。布都御魂剣とは建御雷神が葦原中国(あしはらのなかつくに)平定の際に帯びていた剣のこと。『古事記』では、神武東征において神武天皇が熊野で危機に陥った際、高倉下(たかくらじ)を通して高天原(たかまがはら)から天皇の元に降ろされたと記されます。
- 天理市布留町384
- 0743-62-0900
- 境内自由
- 境内無料
- JR・近鉄天理駅徒歩約30分/JR・近鉄天理駅→タクシー約10分
たんざんじんじゃ談山神社
藤原氏の始祖が眠る大化の改新ゆかりの地
藤原氏の始祖・藤原鎌足を祀る古社。鎌足の没後、唐から帰国した長男の定慧(じょうえ)が鎌足の遺骨の一部を多武峯(とうのみね)の山頂に改葬し、十三重塔と講堂を建立。701年に神殿を建てて御神像を安置したのが始まりとされます。鎌足は「大化の改新」で中大兄皇子(後の天智天皇)を支え続けた側近。『日本書紀』によると、死の直前に最上の冠位「大織冠」と大臣の位、「藤原」の姓を賜ったとされています。
- 桜井市多武峯319
- 0744-49-0001
- 8:30~17:00(受付は〜16:30)
- 500円
- JR・近鉄桜井駅→談山神社行バス終点下車徒歩約3分
やとぎじんじゃ夜都伎神社
春日へと向かう途中で神鹿が残した足跡
御祭神は、春日大社が祀る「武甕槌命(たけみかづちのみこと)・経津主命(ふつぬしのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)・姫大神(ひめのおおかみ)」の四神で、俗に春日神社と呼ばれていたといわれます。春日大社との関係が深く、明治維新まで「蓮の御供」と称する神饌を春日大社に献供し、春日大社若宮の社殿と鳥居を60年ごとに下げ渡されていました。神社東方には、武甕槌命が鹿島から春日へと向かう際に立ち寄り、神鹿が休んだ足跡と伝えられる「鹿の足石」があります。
- 天理市乙木町765
- 0743-65-5720(天理市教育委員会文化財課)
- 境内自由
- 境内無料
- JR長柄駅下車徒歩約20分
たついちじんじゃ(こうのみやじんじゃ)辰市神社(神宮神社)
長旅のお供を果たした時風・秀行が住み着いた地
武甕槌命が常陸国鹿島を発ち、春日の御蓋山へとお遷りになる、その長い旅路のお供をしたのが中臣時風と秀行の兄弟でした。社伝によると、お供を終えた二人が自分たちの住む場所を尋ねたところ、「榊の枝が落ちた所に住むがよい」との神託があり、榊を投げて落ちたのが辰市の地だったとか。この辺りに居住した時風らが鹿島の元宮を崇敬し、奉祭したのが辰市神社の始まりと伝わります。
- 奈良市杏町64
- 境内自由
- 境内無料
- JR・近鉄奈良駅→杏南町行バス終点下車徒歩約5分
きつわきじんじゃ気都和既神社
入鹿の首に追われ鎌足が逃れた地
645年、蘇我入鹿の専横に危機感を募らせた中大兄皇子と中臣鎌足たちは、皇極天皇の飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)にて入鹿を討ちました(乙巳の変)。気都和既神社は、入鹿の首に追いかけられた鎌足が、ここまで逃げてきたという伝承を残す地。ここまで来れば「もう来ぬだろう」と言ったことから、社の鎮座している地域は「茂古(もうこ)の森」と呼ばれ、境内には鎌足が腰掛けたと伝わる石があります。
- 高市郡明日香村大字上172
- 0744-54-2071(飛鳥坐神社)
- 境内自由
- 境内無料
- 近鉄飛鳥駅→橿原神宮駅東口行バス「石舞台」下車徒歩約30分
かどふさじんじゃ門僕神社
春日さんの愛称で親しまれる曽爾の古社
御祭神は天児屋根命・経津主命・武甕槌命・比売神といった春日系の神々。青蓮寺川のそばに鎮座し、地元から〝春日さん〟の愛称で親しまれています。創建は雄略天皇の御代にまで遡るともいわれ、延喜式神明帳には大和国宇陀郡十七座のうちに記載された古社です。毎年10月体育の日の前日には例祭が行われ、神事の後に、村の安泰と五穀豊穣を願う「曽爾の獅子舞」(奈良県無形民俗文化財指定)が奉納されます。
- 宇陀郡曽爾村今井733
- 0745-94-2106(曽爾村観光協会)
- 境内自由
- 境内無料
- 近鉄名張駅→山粕西行バス「曽爾横輪」下車すぐ/
近鉄榛原駅→曽爾村役場前行バス終点下車すぐ
身の回りに息づく春日信仰
春日大社には名物燈籠がずらり
春日大社には奉納された燈籠が石燈籠と釣燈籠あわせて約3,000基もあり、日本一燈籠の多い神社。「一晩のうちに燈籠を間違えずに全部数え切ったら長者になれる」「“春日大明神”と記された燈籠を一晩で3基見つけたら大金持ちになれる」といった燈籠にまつわる言い伝えも。数ある燈籠の中には、桂昌院や嶋左近、直江兼続らが奉納した燈籠や、寝鹿の燈籠、鹿のお尻が刻まれた燈籠まであるので、参拝の折に探してみては。
式年造替の歴史を印す「春日移し」の社殿
春日大社ではかつて、本殿を建て替える式年造替の際、旧本殿などを近隣の神社に移築させる「春日移し」という習わしがありました。春日移しの社殿は奈良県内だけでなく近隣府県にも見られます。
【奈良県内】鏡神社(奈良市)、夜支布山口神社(奈良市)、龍池神社(五條市)、葛木御歳神社(御所市)、墨坂神社(宇陀市)、龍穴神社(宇陀市)、杵築神社(安堵町)、比売久波神社(川西町)など
【近隣府県】岡田鴨神社、国栖神社、恭仁神社(いずれも京都府木津川市)、杭全神社(大阪市)、百済王神社(大阪府枚方市)など
こぼれ話春日の神と伊勢の神の国分け「東吉野村郷土誌」より
春日の明神さんと、伊勢の大神宮さんが、大和と伊勢との国境を高見峠に決められた伝説です。
ふたりの神様は、伊勢と大和との国境を出合った所で決めようと相談され、春日の神様は神鹿に乗って、伊勢の神様は神馬に乗って出かけられた。ところが鹿に乗った春日の神様は朝早く奈良を出られたため、伊勢の神様と、伊勢の飯高の「めずらし峠」で出会われた。ここを国境にしては、伊勢にとって不公平だということで、今度はササ舟を浮かべ、ササ舟が着いた所を国境にしようと相談された。ふたりの神様はササ舟を作って、水に浮かべたが、風がなくササ舟はちっとも動かない。そこで伊勢の神様は石を水の中へ投げられた。ササ舟は波の輪に揺られて、高見峠のふもとに着いて止まった。そして波の輪は高見峠を越えて大和の方へ少し行き過ぎた。これを見ておられた伊勢の神様は、「ササ舟は舟戸、水は杉谷」といわれ、高見峠を国境に決められた。
※同様に春日明神と熊野権現とが国分けされた伝説もあり、こちらは熊野権現さまが朝寝坊されて、今も吉野郡が紀伊国に張り出ています。(奈良市史)