『古事記』は今から1300年余り前、奈良の都で完成しました。今に伝わる日本最古のこの書物には、
いにしえ人の姿が時には大らかに、時には情感たっぷりに描かれています。編纂を命じたのは天武天皇。
「壬申の乱」に勝利し、新たな国づくりを推進した第40代天皇で、エピソードも県内各地に数多く伝わっています。
10月18日(土)から開催される「大古事記展」にあわせて巡りたい、天武天皇ゆかりの社寺をご紹介します。
監修/西山 厚
やくしじ薬師寺
皇后の病気平癒を願って
天武天皇がまだ大海人皇子(おおあまのおうじ)だった時から苦楽を共にしてきた鵜野讃良(うののさらら)皇后(のちの持統天皇)が680年、病に倒れました。天皇は皇后の病気平癒を願い、薬師如来を本尊とする薬師寺の建立に着手。間もなく皇后は快復しますが、天皇は寺の完成を見ぬまま686年に崩御しました。薬師寺の東塔の銘文「東塔檫銘(とうとうさつめい)」には、天武天皇の発願から持統天皇が天武天皇の遺志を継いで寺を完成させたことなどが記されています。
- 奈良市西ノ京町457
- 0742-33-6001
- 8:30~17:00(受付は16:30まで)
- 大人500円
※玄奘三蔵院伽藍公開時は拝観800円 - 近鉄西ノ京駅下車徒歩すぐ
もとやくしじあと本薬師寺跡
薬師寺がもとあった地
薬師寺の造営は藤原京の地(橿原市城殿町)で始まりました。天武天皇が没した後、皇后の持統天皇が引き継ぎ、発願から18年後の698年、文武天皇の代にほぼ完成したとみられています。その後、710年の藤原京から平城京への遷都に際し現在の地(奈良市西ノ京町)に移転されましたが、もとあった薬師寺(本薬師寺(もとやくしじ))もしばらく存続しており、その寺跡は「本薬師寺跡」として今も残っています。
- 橿原市城殿町
- 0744-21-1115(橿原市総合政策部観光課)
- 自由
- 無料
- 近鉄畝傍御陵前駅下車徒歩約9分
ふじわらきゅうせき藤原宮跡
最初で最大の都城
天武天皇は、新しい国造りを進めるため藤原京造営に着手します。しかし686年に天皇が崩御したことで一時中断。天武天皇の遺志を継ぎ、持統天皇が造営を再開、694年に飛鳥から藤原の地に都を遷しました。藤原京は中国古代の都城を模して造られた日本初の本格都城。その規模は5.3km四方を誇り、近年の発掘調査から、平城京をも凌ぐ日本最大の古代都市であったことが明らかになっています。
- 橿原市高殿町他
- 0744-21-1115(橿原市総合政策部観光課)
- 自由
- 無料
- 近鉄耳成駅または畝傍御陵前駅下車徒歩約30分/JR畝傍駅下車徒歩約30分
むらやにいますみふつひめじんじゃ村屋坐彌冨都比賣神社
大海人軍に味方した神
三穂津姫命(みほつひめのみこと)と大物主命(おおものぬしのみこと)を祭神とする古社。大和三道の一つ「中つ道」に面して鎮座し、通称、村屋社または森屋社ともいわれます。日本最初の正史『日本書紀』には672年、壬申の乱の際、村屋神が神主にのりうつり、大海人皇子(おおあまのおうじ)方の将軍・大伴吹負(おおとものふけい)に「わが杜の中を敵が来る。社の中つ道を防げ」と助言。その功績から、神社として初めて位を天皇から賜ったことが記されています。
- 磯城郡田原本町蔵堂423
- 0744-32-3308
- 自由
- 無料
- JR巻向駅下車徒歩約30分/近鉄田原本駅→タクシー約10分
はせでら長谷寺
天武天皇のために造立
「花の御寺」と称され、西国第八番観音霊場として名高い長谷寺。その創建は686年、道明上人(どうみょうしょうにん)が天武天皇のために「銅板法華説相図(どうばんほっけせっそうず)」を初瀬山の西の丘(現在「本長谷寺(もとはせでら)」と呼ばれている場所)に安置したことに始まると伝わります。銅板の下部には300字に及ぶ銘文が刻まれており、その最後に「飛鳥浄御原(あすかきよみはら)で天下を治めた天皇の病気平癒のため、僧・道明が作った」との記述がみられます。
- 桜井市初瀬731-1
- 0744-47-7001
- 4月~9月は8:30~17:00、
10月~3月は9:00~16:30 ※期間により変動あり - 大人500円
- 近鉄長谷寺駅下車徒歩約15分
こんごうせんじ(やたでら)金剛山寺(矢田寺)
壬申の乱に際し、戦勝を祈願
矢田丘陵の中腹にあり、通称「矢田寺」として親しまれている金剛山寺。約1300年前、大海人皇子(のちの天武天皇)が矢田山に登って壬申の乱の戦勝を祈願したところ、戦いに勝利。即位後、僧・智通(ちつう)に命じて七堂伽藍48カ所坊を造営させたのが始まりとされています。境内には約1万株、約60種のアジサイが植えられており、「あじさい寺」とも呼ばれています。
- 大和郡山市矢田町3516(北僧坊)
- 0743-53-1531(北僧坊)
- 9:00~17:00
- 無料 ※特別拝観実施時に別途設定あり。
- 近鉄郡山駅→矢田寺前行きバス終点下車徒歩約5分
たつたたいしゃ龍田大社
天武天皇が始めた風鎮めの祭り
風の神である天御柱命(あめのみはしらのみこと)(志那都比古神(しなつひこのかみ))と国御柱命(くにのみはしらのみこと)(志那都比売神(しなつひめのかみ))を祀り、歴代の朝廷から深く信仰された由緒ある古社。『日本書紀』には「天武天皇が美濃王(みののおおきみ)と佐伯廣足(さえきのひろたり)を派遣して、龍田の立野に風神を祀らせたと」との記述も。今も毎年7月に行われている風鎮祭(ふうちんさい)は、天武天皇の御代から始められた祭礼で、あらゆる作物が豊かに実るようにと順風の到来を祈願します。
- 生駒郡三郷町立野南1-29-1
- 0745-73-1138
- 自由
- 無料
- JR三郷駅下車徒歩約7分
かってじんじゃ勝手神社
天女が現れ、勝利を予感
壬申の乱の折、吉野で挙兵した大海人皇子がこの神社で琴を奏でていました。すると背後の振袖山(そでふりやま)から天女が現れ、五度袖を振りながら舞って吉兆を示したという伝説が残ります。この故事が宮中で行われる「五節の舞」の起源とも。また時代は下りますが、雪の吉野山で義経と別れた静御前が追手に捕らわれたとき、この神前で法楽を舞い、居並ぶ荒法師達を感嘆させたとの話も伝わっています。
- 吉野郡吉野町吉野山
- 0746-32-3024(𠮷水神社)
- 自由
- 無料
- 近鉄吉野駅→ロープウェイ吉野山下車徒歩約20分
さくらぎじんじゃ桜木神社
敵から身を隠した桜の木
大海人皇子が天智天皇の近江の都を去って吉野に身を隠していたときのこと。天智天皇の子・大友皇子の兵に攻められ、傍らの大きな桜の木に身を潜めて危うく難を逃れた、との伝説が残っています。それがここ桜木神社で、のち大海人皇子は壬申の乱で近江朝廷の大友皇子側に勝利し、飛鳥浄御原宮にて即位し天武天皇に。天皇が亡くなると、ゆかりの深いこの神社に祭神としてお祀りしたと伝えられています。
- 吉野郡吉野町大字喜佐谷423
- 0746-32-3081(吉野町文化観光交流課)
- 自由
- 無料
- 近鉄大和上市駅→湯盛温泉杉の湯行きバス
宮滝下車徒歩約10分
きよみはらじんじゃ浄見原神社
大海人皇子に奏した歌舞
吉野川の切り立った岸壁に鎮座する古社。壬申の乱で大海人皇子が吉野で挙兵した際、この辺りの国栖(くず)の人たちは皇子に味方して敵の目からかくまい、食事や酒を献じ歌舞を奏して皇子をもてなしました。とても喜んだ皇子が「国栖の翁よ」と声をかけたことから、この舞を「翁舞」というようになったと伝わります。「翁舞(おきなまい)」は代々受け継がれ、天武天皇を祀るこの神社で、今も毎年旧正月14日に奉納されます。
- 吉野郡吉野町南国栖
- 0746-32-3081(吉野町文化観光交流課)
- 自由
- 無料
- 近鉄大和上市駅→湯盛温泉杉の湯行きバス
南国栖下車徒歩約7分
さくらもとぼう櫻本坊
即位を予見させた夢見の桜
壬申の乱の前年671年、吉野離宮にとどまっていた大海人皇子は満開の桜の夢を見ます。目覚めて前方の山を見上げると、冬だというのに一本の桜が美しく咲いていました。役行者の高弟・角乗(かくじょう)に夢判断を命じたところ、「桜は花の王であり、これは皇子が天皇になるという吉夢」と答えます。翌年その言葉通り、皇子は壬申の乱に勝利し天武天皇に。桜の木の場所に寺を建立し「櫻本坊」と名づけたと伝わります。
- 吉野郡吉野町吉野山1269
- 0746-32-5011
- 8:30~17:00(受付は16:30まで)
- 400円 ※特別開帳中は600円
- 近鉄吉野駅→ロープウェイ吉野山のりかえ
吉野大峯ケーブルバス竹林院前下車すぐ
おさらい偉人伝
新しい国づくりに挑んだ天皇
飛鳥時代、大海人皇子は皇極天皇の子として生まれました。兄は中大兄皇子で、その娘・鵜野讃良皇女(のちの持統天皇)を后とします。645年、中大兄皇子が中臣鎌足(なかとみのかまたり)とともに蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺して「大化の改新」が始まると、大海人皇子は兄を助けて政治を行いました。
668年、中大兄皇子が天智天皇として即位します。大海人皇子は皇太弟の地位にありましたが、兄が子の大友皇子を後継者にしようとする意向を察知して出家。鵜野讃良とともに吉野山中に隠棲します。
天智天皇の死後、大海人皇子は自分の殺害を企てる大友皇子に反撃するため吉野で挙兵。この「壬申の乱」に勝利し翌673年、飛鳥浄御原宮にて即位し天武天皇となりました。
律令制の整備や、藤原京建設、『古事記』『日本書紀』といった歴史書の編纂など、東アジア情勢を見据えて意欲的に国家事業を推進した天武天皇でしたが、686年9月9日、その途中で病により亡くなりました。