特別講話
「水を司る衣食住の守護神」
廣瀬大社
宮司/樋口俊夫
- ―日本書紀にも天武天皇が水の神である大忌神を廣瀬大社に祀る、と記されています。社の縁起をお聞かせください。
- 樋口宮司 当社は佐保川、初瀬川、飛鳥川、曽我川、葛城川など、奈良盆地を流れる全ての川が合流する地にあります。崇神天皇の代に龍神から「この地の沼から去る」とご神託があり、一夜で陸地に変わり、高貴な橘がたくさん生え、社が創建されたと伝わります。境内には今も橘が植わっています。
その後、天武天皇が風水を治めれば天下が安泰するとして、龍田風神と一対の社としてお祀りを始められました。龍田大社では風鎮めの祀りである風神祭を行い、廣瀬は水の神として大忌祭(おおいみのまつり)が、今も砂かけ祭として行われています。
当社は川の中州、砂地に建つと伝わり、今も地盤が砂で柔らかいため、あちこちで陥没し、建物もゆがみます。県の文化財でもある御本殿の大修理の際、ボーリング調査をしたところ、12メートルぐらい下まで掘って「安定した砂地」に当たると判明。「安定した岩盤」ではなく、深く続く砂地であり、古代からの言い伝えが事実であると証されました。実際、古代から境内地の周辺は水上交通の要所であり、明治時代までは船着き場もありました。
- ―日本では昔から水が人々の生活に欠くべからざるものであり、水神信仰がありました。
- 樋口宮司 廣瀬の神様は水を司る神ですが、雨を降らしたり止めたりする神ではありません。水が集まる川が安定して流れるように、洪水が起こらないように、川が集まっていく場所にお社があり、治水の神としてお祀りされてきました。平安時代の律令の注釈書『令義解(りょうのぎげ)』にも、山や谷から下ってくる水は荒々しい水である。それを廣瀬の神様は受けて、良い水として大和平野に配る、と記されています。山々からザーっと流れてくる水を受けて穏やかな水にして流し、人々の暮らしを守ってくださる。それが廣瀬の水神信仰です。
- ―砂かけ祭は砂を雨に見立てたものだそうですが、人々のどのような祈りが込められたものなのでしょう。
- 樋口宮司 天武天皇の治世4年から始まった大忌祭の行事の一つで、正式名称は「御田植祭」。水を司る神社の砂、すなわち神様の砂を雨の代わりに投げて、このように雨を降らせていただいたら、田植が順調に進みます、と神様にお願いする。
今は子ども達が砂をかけますが、昔は大人が必死になって投げたものです。奈良盆地はため池が多く、田んぼはその水を使って稲を育てます。ちょうど砂かけ祭を行う時期は農閑期にあたります。2月にお祭りをして、6月までにたっぷりため池に水が溜まれば田植がうまくいくという、豊かな実りを祈ったものです。
このように廣瀬の神様は古来、水を司って暮らしを守る、衣食住の守護神として崇められてきました。ただ偶然に残ったものではありません。天武天皇の御代から脈々とお祭りが続けられ、我々の親の世代、そのまた親の世代がずっとお参りし、篤き心で守り伝えたのだということにも心を寄せていただきたいですね。
- ―奈良の川の合流点にあり、人々が祈りを捧げてきたこのお社に立つと、水の力と清浄な気が感じられるようです。
- 樋口宮司 そう言っていただくとうれしいですね。
社への参道は車で来られるようになっていますが、本当はゆっくりと歩いて来ていただきたい。すると当社の特異性がお分かりいただけると思います。他社のように階段は無く、入り口からは下りとなり、平地となって御本殿へ続きます。川が集まるところですから、人間が住んでいる場所より低いところに祀られているのです。
その昔、日本人は自然とともにありました。雨が降る、風が吹く、雪が降る。それは人工的に起こされたものではありません。雨が降らねば水不足で飢饉となる。でも今は水道の栓をひねれば水が出る。ありがたさが薄れ、感じにくくなっています。お風呂もそう。昔は枝を落として焚いて、隣の家が今日、沸かしたからともらい湯をして、ありがたがって、助け合って生きてきました。人々の暮らしには、常に自然への畏敬と深い感謝の念があったのです。今の世では忘れがちなそのようなことを、ご参拝に来られた方、若い方々にも感じていただけたらと思います。
プロフィール
廣瀬大社 宮司 樋口 俊夫(ひぐちとしお)1947年奈良県生まれ、1972年皇学館大学文学部国史学科卒業。同年大阪生國魂神社奉職。
1975年廣瀬神社禰宜就任、1978年より廣瀬神社宮司。
神社本庁参与、神社本庁奈良県教誨師、奈良県神社庁副庁長を現任。
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