特別講話
「鑑真和上がつなぐ懸け橋」
律宗総本山 唐招提寺
長老/石田智圓
- ―まずは唐招提寺の始まりについて教えてください。
- 石田長老 唐招提寺は759年、戒を伝えるため唐から来日した鑑真和上によって建立されました。それまで日本には僧に正式に戒を授けられる伝戒師がおらず、私度僧(自分で出家を宣言した僧侶)が多かったのです。このため、唐に渡った大安寺と興福寺の僧、普照(ふしょう)と栄叡(ようえい)が、鑑真和上に来日をお願いしたのです。
当時、渡航は死を覚悟しなければならないほど危険なことでしたが、鑑真和上は、弟子が行かないなら一人でも行くと宣言されます。そうして、5度の失敗、その間の失明を乗り越え、6度目の渡航で今の鹿児島県南さつま市坊津へ上陸。翌年から東大寺で5年を過ごした後、下賜された新田部親王の旧宅地で、戒律を学ぶための道場を開きました。これが唐招提寺の始まりです。当初は旧宅を改造した経蔵や宝蔵、平城宮の東朝集殿を移築改造した講堂などがあるだけでしたが、8世紀末頃には金堂も建立されました。
- ―中国にとって名僧であり宝でもあった方が、命の危険をおかしてまで日本に来てくださったのですね。石田長老にとって鑑真和上とはどんな人物ですか。
- 石田長老 5度も渡航に失敗すれば、我々であれば、もうやめておこうかとなりますよね。唐から出したくない弟子の密告により、度々引き止められてもいます。それでも鑑真和上は、仏道のために身命も惜しまぬ覚悟で初心を貫かれた。我々では到底及びませんが、その心は見習わなければならないと思っています。
戒を守り、できるだけ質素にされていた鑑真和上は、袈裟もきらびやかなものではなく、「糞掃衣(ふんぞうえ)」という、粗末な端切れを縫い合わせたものでした。1250年忌に当たる2013年、鑑真和上坐像を複製した「お身代わり像」の開眼供養を行ったのですが、制作をお願いした美術院国宝修理所も、その彩色にはかなり苦労されたようです。それでも本物と同じ脱活乾漆造できれいに造ってくださり、出来上がりのお顔は、まるで風呂上がりのように艶がありました。
- ―唐招提寺には中国からの観光客も多いですね。鑑真和上が1300年近くにわたって日本と中国との懸け橋になってくださっているのでしょうか。
- 石田長老 一般の方々はもちろん、寺の御廟には、中国の胡錦濤国家主席、趙紫陽首相(いずれも当時)も墓参りに来られました。鑑真和上は中国の人々にとって今も大変な誇りなのです。
実は先だって、松浦俊海前長老を団長に、日中文化交流協会の方などと訪中団を組み、鑑真和上の中国での足跡を訪ねる旅に行ってきました。住職を務めておられた揚州・大明寺、3度目の渡日に挫折した際とどまられた寧波・龍興寺、6度目の出港地・張家港にある「鑑真東渡記念館」などを1週間かけて回ったのですが、どこでも大変な歓迎を受け、鑑真和上がつないでくださるご縁を深く感じることができました。
- ―鑑真和上の教えと、人々が寄せる崇敬の念は今も息づいているのですね。その鑑真和上の再来とも称される覚盛(かくじょう)上人と、こちらで行われる「うちわまき」にはどういったいわれがあるのかも教えていただけますか。
- 石田長老 覚盛上人は鎌倉時代に戒律復興運動を進められた中興の祖で、「うちわまき」は上人の命日法要です。正しくは「中興忌梵網会(ちゅうこうきぼんもうえ)」といい、毎年5月19日に行っています。ご自分の体にとまった蚊をたたこうとする弟子に、殺してはいけないと諭されたことから、亡くなられた時、せめてこれで蚊を払ってさしあげようと法華寺の尼僧がうちわを供えたことが由来です。覚盛上人は、鑑真和上の「不殺生戒」を継いでいらっしゃったのでしょう。
戒を守り、生きているうちに仏になれと私たちに伝えるため、鑑真和上は命を懸けて海を渡ってこられました。仏になるとは、広く、大きな気持ちを持つということです。参拝に来られた方々が、明るい、大きな気持ちを持ってもらえればと、私どもも願っています。
プロフィール
律宗総本山唐招提寺 長老 石田 智圓(いしだ ちえん)1935年7月9日、三重県伊賀市(旧上野市)生まれ。1959年10月25日、唐招提寺戒壇にて具足戒受戒。戒和尚は第81世長老森本孝順師。1976年3月25日、西方院住職拝命。1984年4月15日、西方院本堂落慶および本尊阿弥陀如来(重文)遷座式。1995年6月28日、唐招提寺執事拝命。2011年10月17日、律宗管長・唐招提寺第87世長老就任。(大僧正となる。)同年11月7日~9日、東大寺授戒会伝戒和尚を務める。2013年6月5日、鑑真大和上1250年御諱法要導師を勤め、大和上平成御影像を開眼供養。
特別講話Special Interview
-
ダイジェストムービー
人が集い自然に感謝することが神社の始まり 丹生川上神社上社
宮司/望月 康麿 氏
-
ダイジェストムービー
考え寄り添い、真に平等な社会の実現を 壷阪寺(南法華寺)
住職/常盤 勝範 師
-
ダイジェストムービー
思い煩(わずら)いをお預けし、ともに祈り、今できることを 金峯山寺
金峯山修験本宗 管長・総本山金峯山寺 管領/五條 良知 師
-
ダイジェストムービー
導きの神様を祀り、遍(あまね)く人々の幸せを願う 飛鳥坐神社
宮司/飛鳥 弘文 氏
-
ダイジェストムービー
奈良は歩き景色を眺め思いを馳せて祈る場所 八咫烏神社
宮司/栗野 義典 氏
-
ダイジェストムービー
伽藍復興と千三百年の想いを未来へ取り次ぐ 薬師寺
管主/加藤 朝胤 師
-
ダイジェストムービー
仏・法・僧を守り、かまどの 神を祭り、大自然とともに 荒神社(立里荒神)
禰宜/林 正裕 氏
-
ダイジェストムービー
皆で助け合い、 この世に調和の世界を作ること 當麻寺中之坊
院主/松村 實昭 師
-
ダイジェストムービー
私たち一人ひとりが お地蔵様となり良き世を 矢田寺(金剛山寺)
山主/前川 真澄 師
-
ダイジェストムービー
貴重な森や神楽を通し、 地域の歴史を伝える 村屋坐弥冨都比売神社
宮司/守屋 裕史 氏
-
自分を見つめ、助け合い、尊重と融和の日常へ 櫻本坊
住職/巽 良仁 師 神職/巽 安寿 氏
-
聖徳太子の「和」の心を明日香村から伝え続ける 橘寺
住職/髙内 良輯 師
-
世に調和をもたらす風を祀る 龍田大社
禰宜/稲熊 憲彦 氏
-
日々、全世界が仲良くあれと願って 中宮寺
門跡/日野西 光尊 師
-
神仏習合の社 大改修に向けて 玉置神社
宮司/舛谷 武 氏
-
時を越え伝える 聖徳太子の和の心 法隆寺
管長/古谷 正覚 師
-
憂いを手ばなし、見つめ直そう 墨坂神社
宮司/太田 静代 氏
-
学び知って、皆で未来を切り拓く 東大寺
別当/狭川 普文 師
-
美しい十一面観音と、どこかユーモラスな子安延命地蔵を祀る 聖林寺
住職/倉本 明佳
-
各時代の善知識(ぜんちしき)によって守られた古刹 法輪寺
住職/井ノ上 妙康
-
聖徳太子らも手を合わせた日本最初の寺院 飛鳥寺
住職/植島 寶照
-
『記紀』に記された、日本建国の地に鎮まる 橿原神宮
宮司/久保田 昌孝
-
草創1300年記念事業の続く西国三十三所観音巡礼の札所 岡寺
住職/川俣 海淳
-
「観光から信仰へ」をかかげる文殊菩薩の霊場 安倍文殊院
執事長/東 快應
-
南朝の歴史を伝える古刹 如意輪寺
住職/加島公信
-
明治天皇の御願により後醍醐天皇を祀る社 吉野神宮
宮司/東 輝明
-
光明皇后の慈悲の心を受け継ぐ尼寺 法華寺
門主/樋口 教香
-
平城宮とともに発展した古寺 海龍王寺
住職 /石川 重元
-
水と芸能の神 峯本宮 天河大辨財天社
宮司/柿坂神酒之祐
-
修験道の根本道場 龍泉寺
住職/岡田 悦雄
-
始まりの地、葛城と鴨族 高鴨神社
宮司/鈴鹿 義胤
-
庶民信仰とならまち 元興寺
住職 (公財)元興寺文化財研究所理事長 /辻村 泰善
-
聖徳太子と毘沙門信仰 信貴山朝護孫子寺
信貴山真言宗管長/総本山朝護孫子寺法主 田中 眞瑞
-
水を司る衣食住の守護神 廣瀬大社
宮司/樋口俊夫
-
現代に受け継ぐ寺子屋の学び 長弓寺 円生院
副住職/池尾 宥亮
-
女人高野と桂昌院 室生寺
大本山室生寺 座主/網代智明
-
叡尊上人と一味和合の精神 真言律宗総本山 西大寺
真言律宗管長/大矢實圓
-
鑑真和上がつなぐ懸け橋 律宗総本山 唐招提寺
長老/石田智圓
-
藤原鎌足と多武峰信仰 談山神社
宮司/長岡 千尋
-
祭祀の場と『古事記』 丹生川上神社(中社)
宮司/日下 康寬
-
青年・空海と奈良 南都七大寺 大安寺
貫主/河野 良文
-
日本最古の神宮とご神宝 石上神宮
宮司/森 正光
-
中金堂を含む天平空間の再興 法相宗大本山 興福寺
貫首/多川俊映
-
仏教から見たおもてなしの心 法相宗大本山 薬師寺
法相宗管長/山田法胤
-
式年造替と、自然との共生 春日大社
宮司/花山院弘匡
-
和の精神と世界遺産 聖徳宗総本山法隆寺
管長/大野 玄妙
-
お参りの仕方とマナー 真言宗豊山派総本山長谷寺
法務執事/登坂高典
-
日本人の祈りの原点 大和一ノ宮三輪明神 大神神社
宮司/鈴木寛治
-
吉野の桜と修験道 金峯山修験本宗 総本山 金峯山寺
金峯山修験本宗 宗務総長/田中利典