特別講話
「藤原鎌足と多武峰信仰」
談山神社
宮司/長岡 千尋
- ―まずは『日本書紀』と多武峰(とうのみね)についてお話を伺いたいと思います。
- 長岡宮司 『日本書紀』には何度かはっきり「多武峰」と出てきますが、最初の記述は斉明天皇2年(656年)の条。「田身(たむ)の嶺(みね)」に石垣を巡らし、2本の槻(つき)の巨木のそばに観(たかどの)を建てて両槻宮(なみつきのみや)と名付けた、というものです。
槻はケヤキのことで、大変神聖視された木。観とは道教寺院です。なぜそのようなものが建てられたのかについては諸説ありますが、多武峰そのものが信仰の対象だったことが影響しているのでしょう。
古代から神聖視されてきた香久山は、多武峰の端山、尾根続きの山です。神は多武峰に天下った後、尾根を降って香久山へ至り、そこで祭祀が行われたわけです。
国文・民俗学者の折口信夫は、舒明天皇が香久山で国見を行ったことについて(『万葉集』)、多武峰に意識を向けているのだと述べています。天孫降臨に見られる、神が垂直に降りてこられるスタイルを、地形として持っているのが多武峰なのです。
- ―藤原鎌足(ふじわらのかまたり)と中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が、蘇我入鹿(そがのいるか)討伐の密談を交わした山として知られる多武峰ですが、それ以前から信仰の対象だったのですね。
- 長岡宮司 多武峰に降臨されたのは、生命の創造と結びを司る高御産巣日神(たかみむすびのかみ)とされ、多武峰は皇室の先祖の神々を祀っていたようです。また水神も祀っていることが、権殿の西にある磐座と竜神社から分かります。
密談の場となったのも、まさに人を寄せ付けない聖地だからです。本殿の裏に位置する談い山(かたらいやま)は、お椀をふせたような形をした神奈備(神体山)です。蘇我氏と言えども聖山の神は恐ろしかった。対して鎌足公は、麓の大原に住んで代々この山を祀った神官・中臣氏の出ですから、裏山のような感覚で登ってゆけた。身を隠して話し合う場所としては最適でした。
もっとも中臣氏と言っても鎌足公は本家ではなく傍系の出ですから、あれほど上り詰めるには相当苦労されたことと思います。
- ―藤原鎌足と中大兄皇子は、蹴鞠を通じて出会われたのですよね。
- 長岡宮司 今の飛鳥寺の庭で行われた蹴鞠の会で、中大兄皇子が脱ぎ落とした靴を鎌足公が拾われた。それが最初の出会いです。目と目が合い、お互いに感じるものがあったのでしょう。鎌足公は30歳ぐらいで、当時の感覚では年がいっています。傍系の出ながら、革命的なことを成し遂げたすごい人物で、人望もあるが陰謀も巡らす。幕末・明治で言えば、西郷隆盛のようなタイプだったのではないでしょうか。
鎌足公と中大兄皇子が出会われた故事にちなみ、当社の蹴鞠の庭では年2回、「けまり祭」が行われています。ここは大和四座(金春・金剛・観世・宝生)が猿楽の新作を競った場でもあり、10月の鎌足公の命日を最終日として7日間講じられた維摩八講会の期間中、神事として能が奉じられていました。世阿彌(ぜあみ)は少年の頃、ここで暮らしており、後に二条良基に仕えたのも、藤原氏の力添えがあったようです。
- ―出会いがあり、歴史に刻まれる出来事が生まれる。多武峰はとても豊かな地なのですね。
- 長岡宮司 御破裂(ごはれつ)山頂の鎌足公多武峰墓所からは、広く大和盆地が見渡せ、晴れていると、大阪南港のタワーまで見えます。古代の大和では、悪霊は海(大阪湾)からやってくると信じられていましたから、強い力を持っていた鎌足公をこの地に鎮めたのは、大和に侵入しようとする悪霊に、にらみを利かせる意味合いがあったのでしょう。
鎌足公は56歳で亡くなり、摂津国阿威山に葬られましたが、後に唐から帰国した長子・定慧(じょうえ)和尚が、遺骨の一部を多武峰に改葬したのです。
山そのものをご神体として崇める信仰は、今も続いています。特に同じ桜井市の三輪山は有名ですね。多武峰は、大化の改新の契機となった密談が行われた場所として語られがちですが、それ以前から多武峰は、篤い信仰の対象だった。そのことにも心を寄せていただければうれしいですね。
プロフィール
談山神社 宮司 長岡 千尋(ながおか せんじ)徳島県美馬市生まれ。国学院大学卒業。同大神道学専攻科修了。護王神社、近江神宮などを経て1984年から談山神社に奉務。神社本庁参与、奈良県神社庁理事、奈良県神社庁桜井支部長などを歴任。
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