特別講話
「祭祀の場と『古事記』」
丹生川上神社(中社)
宮司/日下 康寬
- ―丹生川上神社には上社、中社、下社とありますが、どういった関係なのでしょうか?
- 日下宮司 丹生川上神社は水の神「罔象女神(みづはのめのかみ)」を御祭神とし、平安時代には二十二社の一つに数えられた神社です。勅願の社として祈雨に黒馬、止雨に白馬を朝廷が献上する神事は、応仁の乱で途絶えるまで96回行われており、いかに重要視されていたかが分かります。
戦国時代の混乱を経て「丹生川上神社」は所在不明になりましたが、明治4年に、まず南芳野村の「丹生神社」が官幣大社丹生川上神社(明治29年 下社追称)、次いで明治29年に川上村の「川上神社」が丹生川上神社上社と称され、当社が列格されたのは大正11年になってからです。当社は「蟻通(ありどおし)神社」と称していましたが、これは、天皇吉野離宮行幸の様子が、遠目にアリが通っているように見えたことが由来なのです。
上社、下社、中社の3社で一つの官幣大社「丹生川上神社」としていましたが、戦後それぞれの氏子の思いもあり、わかれていきました。
- ―丹生川上神社と『古事記』との関係を教えてください。
- 日下宮司 『古事記』には、雄略天皇が当社背後の小牟漏岳(おむろだけ)で狩りをされた折、虻(あぶ)が腕を刺したところ、すぐさま蜻蛉(とんぼ)が来て、虻を食い飛び去った話があります。
『古事記』にはありませんが、『日本書紀』に出てくるのが、神武天皇が東征に際し、天香具山の土で皿「天平瓮(あめのひらか)」や壺「厳瓮(いつべ)」などを作られ、「丹生川上」で天神地祇を祀られたという話です。「丹生川上」は当社付近とされ、昭和15年、紀元2600年の奉祝事業として全国19か所に「神武天皇聖跡顕彰碑」の建立が19ヶ所決定され、最初の碑が夢渕の前に建てられました。これは、当地での祭祀後に天皇が東征を終え、翌年2月11日に畝傍橿原の宮で即位されたことから、この地を建国発祥の地とみてのことなのです。
そうした聖なる場所であるため、壬申の乱の前、大海人皇子も皇妃等とともに、皇祖視察の地であるここへ逃れてこられたのではないでしょうか。皇子が身を寄せた吉野離宮は宮滝との説もありますが、社交的な離宮としての宮滝とは別に、祭祀の場としての離宮がここにあったのだと考えています。
- ―歴史の深さを感じさせられるお話です。そのような丹生川上神社が「大古事記展」にご出陳されるご神宝とは、どのようなものなのでしょうか?
- 日下宮司 罔象女神坐像をはじめ、写真などで公表されている当社の御神像は20体ほどですが、表に出していないものがまだたくさんあります。今回出陳する3体は、これまで表に出たことがないもので、それぞれ女神坐像、イザナギ、イザナミであると口伝されてきたものです。そうであると証明できる古文書などは付いていませんが、当社の本殿が鎌倉時代末期に戦火で焼けた際、村人によって運び出され、大切に守られてきたものだと伝わっています。
お社は再建できますが、ご神宝はそうはいきません。何としてもお守りしなければという村人の強い思いが託された御神像なのです。ご覧になった方々に、神に寄せる人々の祈りの姿、思いを少しでも受け取っていただければと思い、この3体を今回出陳させていただくことに致しました。
- ―長い歴史の中で重ねられてきた人々の祈りがあるから、ここに来ると心が安らぐのですね。美しい「夢渕」をはじめ、豊かな自然に心と体が癒されてきます。
- 日下宮司 夢渕は木津川、日裏川、四郷川の三川が合流する場所で、神武天皇はここに厳瓮を沈め、戦勝を占ったとされます。斎(いみ)潔(きよめ)する場として「斎渕(いみぶち)」とも呼ばれ、紺碧の深い渕を作っています。天武天皇が675年に当社を創建されるまでは、夢渕そのものが、水神が天降る聖地として崇められてきました。当社にお参りに来られた際には、ぜひ足を運んでいただきたいと思います。
液体、固体、気体と三つの姿を持つ水は、大きな力、癒しの力を備えています。現代は様々な情報があふれており、それらに五感がさらされることで私たちの気は枯れていき、「気枯れ」から「穢れ」が生じています。
心身を洗い清めたい、安らぎを得たいという敬虔な気持ちをもってお参りにお越しください。そして、水と水神の持つ力、生命力をいただいてもらえればと願っています。
プロフィール
丹生川上神社(中社) 宮司 日下 康寬(くさか やすひろ)1954年、徳島県生まれ。1977年、皇學館大学文学部国文学科卒業。同年、駒林神社を経て、1978年、大神神社に奉職。営繕・総務各課長、経理部長を歴任。2007年4月1日、丹生川上神社宮司に就任。神社本庁参与。皇學館館友会常務理事。神宮評議員。東吉野村会議員。
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