特別講話
「日本最古の神宮とご神宝」
石上神宮
宮司/森 正光
- ―まずは、日本最古の神社の一つである石上神宮と、日本最古の書物『古事記』とのつながりについて教えてください。
- 森宮司 古事記の神武東征のところに、熊野で難に遭われた天皇を救うために建御雷神(たけみかづちのかみ)が剣を降された話があります。そこに「この刀は石上神宮に坐す」と、初めて固有の神社名が出てくるのです。
この剣を当宮では「布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)」としてお祀りしております。これに、物部氏の祖である邇芸速日命(にぎはやひのみこと)が天下るときに授けられた「天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)」の霊威を「布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)」、そして須佐之男命(すさのおのみこと)が八俣大蛇(やまたのおろち)を退治した霊剣「天十握剣(あめのとつかのつるぎ)」の霊威を「布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)」と称え、合わせてご祭神としています。
『日本書紀』には「石上振神宮」との記載も見えますが、そもそも『日本書紀』に「神宮」と記されているのは出雲と石上と伊勢だけなのです。しかし、平安時代の『延喜式神名帳』では石上に代わり鹿島と香取が神宮と記され、その頃から石上神宮は正史から消え、一神社となっていったようです。
- ―それはなぜなのでしょう。
- 森宮司 「神社」の「社(やしろ)」は「屋代」、祭りに際し神に降臨願う仮設的な場を指します。それに対して「神宮」の「宮(みや)」は「御屋」、ずっと存在している建物を指しています。つまり、霊力を帯びた剣や鏡、玉などご神宝類を納めていた所が神宮と呼ばれ、それが石上、伊勢、出雲だったのです。
物部氏の氏神として、各氏族を象徴するご神宝を神庫(ほくら)に保管していた石上神宮ですが、天武天皇3年、天皇は忍壁皇子(おさかべのみこ)に命じてご神宝類を各氏族に返還させます。これは朝廷の権力が盤石なものとなり、各氏族の象徴とも言えるご神宝を人質のように取っておく必要がなくなったからなのでしょう。
こうして石上神宮の霊力はご祭神だけとなり、氏族の霊力を集めた力の集合体から、一般のお社と変わらない“神社”になったのです。やがて「振る」が同音の「降る」となって雨乞いの神になるなど、人々の求めに応じて神の力も変わっていったようです。
- ―大変興味深いお話です。ご神宝と言えば、七支刀ですが、どういった宝物なのでしょうか?
- 森宮司 七支刀(しちしとう)は朝鮮半島か中国で369年に造られた後、百済から日本に入り、各氏族のご神宝と一緒に、力のあるものとして石上神宮に保管されました。真ん中の幹の部分から左右に3本ずつ、均等に枝刃が出た美しい形をしており、当神宮では「六叉鉾(ろくさのほこ)」と呼ばれてきました。
七支刀については銘文の解釈ばかりが注目を集めていますが、なぜそんな形をしているのかは分かっていません。私は、七支刀は「聖樹」、神が降臨する聖なる木を模しているのではないかと考えています。新羅や高句麗でも、聖樹を模した金冠がありました。
七支刀に「百兵を退け」と刻まれているのは、この刀を武器そのものとして使用するのではなく、何かに差して立てかけ、そこに神を降臨させることでその力を得るということではないかと思います。
- ―七支刀の見方が一層深まるお話ですね。その奥深い魅力に触れてみたいものです。
- 森宮司 東アジアの4世紀は群雄割拠の時代で、中国を始め近隣諸国に文献資料がないため「空白の4世紀」と言われています。あらゆるものが残っていない時代にあって、唯一、今に伝わっているのが七支刀です。韓国にも中国にも、あの形をした刀は現存していないのです。
天武天皇が各氏族にご神宝を返されたとき、この七支刀だけは、百済国が滅亡していたこともあって返せませんでした。けれども石上神宮では、後世に伝えてほしいと刻まれたご神宝を、大切にお守りしてきたのです。これからも七支刀をお守りし、さらに後世へと伝えていくことが、宮司としての務めだと思っています。
2014年10月18日から12月14日にかけて奈良県では「大古事記展」が開催されます。大古事記展に七支刀を出品しますが、私が宮司でいる間に地元の奈良で七支刀を長期間公開させていただくのはこれが最後でしょう。(※七支刀の出品期間は10月25日~11月24日。それ以外の期間は複製品を展示。)この機会を逃さず、できるだけ大勢の方に見ていただければと思っています。
プロフィール
石上神宮 宮司 森 正光(もり まさてる)1948年奈良県生まれ。1974年、國學院大學大学院文学研究科神道学専攻修士課程修了。
同年、石上神宮権禰宜就任。その後宮城県志波彦神社・盬竈神社奉職を経て、2000年より石上神宮宮司。神社本庁参与、神社本庁錬成行事道彦、全国神社厚生年金基金理事、奈良県神社庁長などを現任。
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