特別講話
「中金堂を含む天平空間の再興」
法相宗大本山 興福寺
貫首/多川俊映
- ―興福寺の創建は、平城京遷都と同じ710年。天平の息吹を、時代を超えて今に語り継ぐ古刹です。まず、現在進めておられる中金堂再建にかける思いをお聞かせください。
- 多川貫首 平城京遷都をリードした藤原不比等は、自らの氏寺も飛鳥から移し、興福寺としました。いわば平城京と興福寺はセットのようなもの。平城京の大極殿が再興されたのですから、ペアである興福寺も、天平時代の雰囲気を味わってもらえる境内にしたいと思っています。
興福寺は明治以降、“奈良公園の中の寺”という雰囲気で来ました。訪れる方々が自由に散策できる良い面もありますが、一方で私たちには、受け継いだものを次代に受け渡す務めがあります。それが「天平回帰」です。
興福寺は焼失と再興を繰り返してきましたが、いつの時代も“昔のままに”再興してきました。平面は何一つ動いていません。中金堂は、基壇が史跡になっていて直接その上には建てられませんが、保護をして直上に基壇を据え再建します。完成すれば、天平の風に吹かれながら古を思う、そんな境内になるでしょう。
- ―境内を歩くと、北円堂、東金堂、五重塔と落ち着いた色合いの建物が多い中で、南円堂の鮮やかな朱色はひときわ目立ち、どこか春日大社を彷彿とさせます。南円堂の位置づけについて教えてください。
- 多川貫首 南円堂の完成をもって興福寺の伽藍が完成しましたから、ある意味モニュメントと言えます。位置づけとしては二つあります。
藤原四家の一つ、内麻呂・冬嗣親子を祖とする北家ゆかりのお堂であるとともに、庶民が気軽に信仰しやすいお堂でもありました。宗教的な包容力が大きいのですね。明治以降、衰退しつつも興福寺が持ちこたえることができたのは、南円堂の信仰の力だと思います。
春日大社との結びつきで言えば、神仏習合で元は一つの宗教組織でした。南円堂のご本尊である不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)は春日神の本地仏だとの説があり、今も赤童子という春日のご神像をご本尊の前に安置しています。堂の正面扉の上にしめ縄を飾ってあるのは、そのためです。南円堂で仏様を拝むとき、私たちは同時に、春日の神をも拝んでいるのです。
- ―仏様に手を合わせるとき、思いが一層深まるようなお話ですね。仏像についてもお話を伺いたいのですが、ご本尊はもちろん、阿修羅像など興福寺に安置される仏像を拝観すると、当時の仏師の技巧に心動かされます。便利さや効率を追求しがちな現代にあって、「手間をかける」大切さを思い出させてもらえるようです。
- 多川貫首 八部衆立像(はちぶしゅうりゅうぞう)と十大弟子立像(じゅうだいでしりゅうぞう)は、脱活乾漆(だっかつかんしつ)という極めて手間暇のかかる造り方をされています。中でも驚かされるのは、見えない部分も非常に丁寧に造られていることです。
2009年の「国宝 阿修羅展」の際、九州国立博物館の大型X線CTスキャナで内部調査を行って分かったのですが、中には土くれ一つなく、木もまるで洗ったようにきれいでした。昔の方は、見える・見えない関係なく、丁寧なモノづくりをされていたのですね。
現代は効率重視で、見えるところだけをきれいにしておけば良いという風潮ですが、いいものを造るには、結局、手間暇をかけるしかないのだと気づかされます。
- ―仏像を拝観する際、そうした先人の姿勢や思いにも注意を向けていきたいものですね。興福寺は南都六宗に数えられる法相宗の大本山ですが、その教えの中で、現代を生きる私たちにとってヒントとなるものを教えていただきたいと思います。
多川貫首 法相宗の根本教義に「唯識(ゆいしき)」があります。これは、私たちが認識するあらゆるものは、自分の心を投影した、極めて主観的なものであるという考え方です。
自分が今見ているのは「事実そのもの」ではない、自分の思いを被せながら見ているのだということですね。西洋でもユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が、「人は見たいものだけを見る」と言っています。私たちは皆、お互いに違うものの見方をし、違う認識の中で暮らしています。
「越すに越せない心の垣根」と言いますが、そんな垣根なんてありません。垣根を作っているのはむしろ自分自身なのです。そこを意識していれば、人間関係も多少上手くいくのではないかと思います。
プロフィール
興福寺 貫首 多川 俊映(たがわ しゅんえい)1947年、奈良県生まれ。69年、立命館大文学部哲学科(心理学専攻)を卒業し、89年から興福寺貫首。中金堂の再建など興福寺の伽藍復興に精力的に取り組み、唯識論や仏教文化論の研究・執筆、講演活動も多数行っている。能や詩、音楽などへの造詣も深い。主な著書に「日本仏教講座1奈良仏教」「阿修羅を究める」「唯識入門」「心に響く99の言葉」「観音経のこころ」など。
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