祈りの回廊

祈りの回廊 2021年春夏版

中将姫を知っていますか。
天平19(747)年に藤原豊成ふじわらのとよなりの娘として
平城京で生まれた奈良時代の女性です。

生身のまま極楽へ往生したと伝えられる姫君の生涯は、文楽や謡曲、歌舞伎などの題材となって、今なお語り継がれています。
藤原豊成夫妻が長谷寺の十一面観音様に祈願して授かったという中将姫。そのせいか、幼いころから仏教をあつく信仰し、称讃浄土経しょうさんじょうどきょうを毎日6度読経し、1000巻の写経を行うほどでした。今なお伝わる多様な説話、不思議な伝説を通じて、一人の女性の生き方をたどります。

中将姫の父・藤原豊成は、藤原不比等の息子・武智麻呂むちまろの長男です。今でいう奈良市の「ならまち」に豊成の邸宅があり、そこで中将姫が生まれ育ったという伝承が、いくつかのお寺に残っています。

中将姫は幼くして実母を亡くし、姫は亡き母の菩提を弔うために称讃浄土経の読経と写経をはじめるようになりました。父が迎えた後妻、つまり継母は聡明な姫をねたみ、次第に命をねらうまでになります。

14歳のころ、周囲の人々の助けを借りて継母の手を逃れ、現在の宇陀うだ市にある日張山ひばりやま隠棲いんせいします。この山中での静かな暮らしは中将姫が仏様と向き合う大切な時間だったのかもしれません。のちに中将姫は當麻寺で薬学の知識を学び、かつて自分を助けてくれた宇陀の村人たちに薬を作る方法を伝えました。また19歳のとき、この場所に創建したお寺が現在の日張山青蓮寺です。

隠棲していた中将姫は、宇陀に狩猟に来た父・豊成に偶然発見され、都に戻ります。このころ中将姫には天皇の妃に召しあげるという話が持ちかけられますが、姫はこれを拒否します。

妃になることを拒否した中将姫が家を出てたどり着いた場所が、現在の葛城市にある當麻たいまの地でした。當麻を選んだ理由については、実母の里が當麻であったという説、仏画の「山越やまごし阿弥陀図」などに表現されているように、二上山ふたかみやまに阿弥陀様の姿を感じ得て、その姿を追ってきた説など様々ですが、姫は當麻寺に入山したい一心で、寺の入り口で読経を続けます。

当時の當麻寺は女人禁制でしたが、その行いを見た当時の當麻寺別当べっとう実雅じつが和尚は、中将姫を迎えいれました。翌年には、剃髪ていはつの儀が執り行われ、中将姫は出家して「法如ほうにょ」という名前を授かりました。當麻寺中之坊には剃髪が行われた剃髪堂と、その時に剃髪した剃刀かみそりが宝物として伝わっています。

出家した翌々日、中将姫の前に一人の老尼が現れ、「蓮の茎を集めよ」と告げました。そこで中将姫が角刺つのさし神社の池に蓮を取りたいと祈ると、数日で多くの蓮糸を採ることができました。

當麻寺からすぐの石光寺せっこうじには、中将姫がこの蓮糸を寺内にある庭の井戸に浸したところ、蓮糸が五色に染まったという伝承が残っています。そして中将姫が観音菩薩の助けを得て、一夜にして巨大で鮮やかな織物を織りあげました。それが當麻寺本堂の本尊・當麻曼荼羅まんだら(※1)と伝わります。

※1 奈良時代の綴織つづれおり當麻曼荼羅(国宝)は近年修復を終え現存。現在、當麻寺曼荼羅堂(本堂)に安置される曼荼羅は室町時代・文亀ぶんき年間の複製。

曼荼羅が織り上がってから12年、中将姫は教えを説き続け、29歳で生身のまま極楽浄土へ旅立ちました。その様子を伝えるのが毎年4月14日に當麻寺で営まれる行事「聖衆来迎練供養会式しょうじゅうらいごうねりくようえしき」です。二十五菩薩に迎えられ、あの世へ向かったという中将姫。信心深く生きた女性のお墓は當麻寺近くにひっそりと建っています。

本特集は当麻寺流記(鎌倉時代)、當麻曼荼羅縁起(鎌倉時代)の説話と社寺の由緒を元に構成したものです。


中将姫ゆかりのお寺

ならまち

中将姫が生まれ、産湯の井戸が残る誕生寺、豊成の邸宅があったとされ幼年期を過ごした徳融寺、中将姫が開基の安養寺などが100メートル四方のエリア内にある。中将姫像や供養塔など後世の人々が残したものからも信仰の歴史が感じられる。
拝観希望の方は事前に各寺へ電話連絡を。

誕生寺たんじょうじ

奈良市三棟町2

0742-22-5333

徳融寺とくゆうじ

奈良市鳴川町25

0742-22-3881

※堂内非公開

安養寺あんようじ

奈良市鳴川町29

0742-22-5057

その他のエリア

青蓮寺せいれんじ

本尊は中将姫19歳の姿を写したとされる坐像。謡曲「雲雀山」は青蓮寺のある日張山を舞台とする。

宇陀市菟田野宇賀志1439

0745-84-2455

當麻寺中之坊たいまでらなかのぼう

本尊は中将姫の守り本尊・導き観音。中将姫筆と伝わる『称讃浄土経』での写経ができる。

葛城市當麻1263

0745-48-2001

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角刺神社つのさしじんじゃ

5世紀に忍海角刺宮おしみつのさしのみやがあったとされる神社。現在も鏡池があり、夏には蓮の花が咲く。

葛城市忍海322

0745-62-5024

石光寺せっこうじ

中将姫が蓮糸を浸したと伝わる「染の井」「糸掛桜」が伝わる。

葛城市染野387

0745-48-2031

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當麻寺曼荼羅まんだら堂(本堂)

天平時代の様式そのままの内陣を伝える當麻寺本堂。本尊は當麻曼荼羅。中将姫坐像も拝観できる。

葛城市當麻1263

0745-48-2001(當麻寺中之坊)

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中将姫墓塔ちゅうじょうひめぼとう

中将姫を慕う人々が供養のため建立したと伝えられる十三重の石塔。鎌倉時代後期の作と見られる。

葛城市當麻

0745-48-2001(當麻寺中之坊)