祈りの回廊 2021年春夏版
聖徳太子の愛馬「黒駒」と、その世話係「調子麿」の墓と伝わる2つの古墳が近距離に。
生駒郡斑鳩町東福寺1-4/1-5
0745-70-1200(斑鳩町文化財活用センター)
『続日本紀』にある称徳天皇の「飽波宮」跡とされ、聖徳太子が晩年を過ごしたという「飽波葦墻宮」ともされる場所です。
生駒郡斑鳩町法隆寺南3-3
0745-70-1200(斑鳩町文化財活用センター)
雀が聖徳太子の前で舞ったという昔話や、太子が座ったという「腰掛石」が伝わる。
生駒郡安堵町東安堵1379
0743-57-5090(安堵町歴史民俗資料館)
ここにも「腰掛石」が。聖徳太子が馬をつないだという「駒つなぎの柳」の伝承地でもある。
磯城郡三宅町屏風127
0745-44-2001(三宅町役場)
休憩する聖徳太子をもてなす様子を描いた「聖徳太子接待絵馬」や太子ゆかりの「屏風の清水」が伝わる。
磯城郡三宅町屏風115
0745-44-2001(三宅町役場)
由緒書によると、孝霊天皇の宮である黒田廬戸宮跡に建立された、聖徳太子開基と言い伝えられる寺院。
磯城郡田原本町黒田360
0744-34-2080(田原本町地域産業推進課商工観光係)
聖徳太子にもっとも近しい側近だったとされる秦河勝が建立したと伝わる寺院。
磯城郡田原本町秦庄267
0744-34-2080(田原本町地域産業推進課商工観光係)
聖徳太子が、推古天皇の宮殿の飛鳥・小墾田宮と住まいである斑鳩・斑鳩宮とを行き来したという「筋違道」、別名「太子道」。その名の通り、他の主要な古道が東西南北に横断縦走するのに対し、奈良盆地を斜めに伸びる道でした。
現在「筋違道」の多くは失われ、そのままを辿ることはかないません。しかし、周辺に今もなお残る聖徳太子ゆかりの地を辿ると、いく先々に残された聖徳太子にまつわるエピソードの数々に触れることができ、人々が長らく聖徳太子へ寄せてきた敬愛と親しみが、ひしひしと感じられます。
選ぶルートにより多少の差異が生じますが、法隆寺から秦楽寺最寄りの笠縫駅まで約15キロの道のり。徒歩での所要時間は約2時間半。拝観や休憩の時間を見込んで、ゆっくりじっくり自分ペースでのウォーキングをおすすめします。